「駅に戻ってきたけど……これでいいの?」
「電車でここに来たなら、電車でここから帰るべきでは?」
 そういうものなんだろうか。天才の頭の中というのは時折よくわからない。
「それに、電車で来た距離を徒歩で返るなんて無理でしょう。だから止めておけと言ったのに」
 突然向けられた言葉の刃に、私はぐうの音も出なかった。
「あ、あの時は怖くて仕方なかったし……」
「恐怖心ですか。まあそれは仕方ないとも言えますが。
 ……恐怖心というのは、思考力を奪い、真実を見抜く能力も下がります。それでいて妙に嫌な想像だけは働くものです。恐怖心にとらわれた時の考えは、そうとしか考えられないという思考に陥りつつも、現実は全くそうでないこともあるんですよ」
 だからちゃんと冷静さを保ちなさい。そうくどくどと小言を言うカムクラ君に縮こまる。はい、全く持って仰る通りでございます……。自分がもっと冷静に動いてたらここまで拗れなかったかもしれないし……。
 でも、恐怖心に囚われた時は真実を見抜く能力も下がる、かあ。
 もしかすると自分もそうだったのかもしれない。駅で見た足のないおじさんだって、「線路に降りたらダメ」としか言わず、危害を与えてこなかった。謎の音が大きくなったから思わず逃げちゃったけど、おじさんは追いかけて来てなかったのかもしれない。振り返られなかったから真相は闇の中だけど、自分がそう思い込んでいただけ、っていう可能性だってあり得るんだ。
「うん、今度からは気を付ける」
 私の言葉にカムクラ君はくどくどと言っていた小言をやめる。そして少し驚いた顔を一瞬だけして、「分かっているのならいいです」とだけ言って先に進んでしまった。

 先に進んだカムクラ君は何かの前に立っていた。錆びた古めかしい立方体の箱。切符の自動販売機だった。
「切符買うの?」
「帰りの切符も無しに電車には乗れないでしょうから」
 硬貨を投入口に入れるも、カラン! という甲高い音を立てて硬貨が落ちて来る。
 入れる。カラン! 入れる。カラン!
 何度も繰り返して、硬貨を変えてみたけど、結果は同じだった。
「買えませんね……」
「死者の世界でお金払っても仕方ないとか?」
 地獄の沙汰も金次第とはなんだったのか。はは、と笑うも内心焦る。このままでは帰れない。切符が買えないなら、電車に乗ることすら叶わない。
「あれ。ここ、なんか書いてある」
 埃を被ったそこを手で払ってみると、隠されていた文字が出て来る。所々かすれていてよく見えなかったが、目を凝らすことで何とか読めた。
「切符はそれ相応の対価でお支払いください……?」
「……」
「対価ってなんだろうね。お金じゃダメなのかな」
 カムクラ君は答えない。黙り込んで何かを考えている。
 私もカムクラ君にならって考えてみるが、分からない。硬貨を入れてみるも金属音と共に手元に帰ってきただけだった。
「対価……、ここがあの世だと仮定するなら、求められる対価は……。……
「えっ、なぁに?」
「今、元の世界の自分はどうなっていると思いますか?」
 質問の意味が分からなかった。
「えと、どういうこと?」
「そのままの意味です。今、元の世界の自分はどうなっていると思いますか?」
 ダメだった。全く同じ質問が投げかけられる。
「今、あの世に居るんだったら、体は抜け殻なんじゃない? 仮死状態みたいな感じで」
「なら、どうすれば魂は抜け殻に戻れると思いますか?」
「えー、あー、小説とかだったら強く願うことで帰れたりするんだろうけど……。わかんない。こういう時、あの世で求められるものと言ったら、それこそ魂とか、生命力とかになるのかな」
「……わかりました」
 そう言うとカムクラ君が歩みだす。切符販売機を越えて駅のホームへ。何で? 切符は? 頭の中が混乱する。
「き、切符は?」
「もう買いました」
 そう言って掲げられる手には二枚の切符。二枚なのだからきっと私と彼の分なのだろう。
「わ、私、対価なんて支払ってないよ!」
の分まで僕が支払いましたので」
 何でもないように言うカムクラ君。心がざわついた。求められるものと言ったら、それこそ魂とか生命力になるのかな。自分の言った言葉が頭の中に繰り返される。の分まで僕が支払いましたので。怖い。嫌な予感がする。
 走ってカムクラ君の後を追いかける。上りのホームに彼は居た。私が来た下りのホームとは反対の上りのホームに。
「カムクラ君、何を支払ったの!?」
「帰れば分かります。……ああ、ほら、電車が来ましたよ」
 音もないのに、さっきまでなかったはずの電車が止まっていた。あれほど待っていたはずの電車なのに、今はそれどころじゃない。
「繋がりの切れる時間がいつ来るかわかりません。早く乗ってください」
 ぐい、と後ろから力強く押される。カムクラ君の力は細身の体に反して強い。すぐに電車に押し込まれる。唐突にすさまじい眠気に襲われた。
「ちょっと、カムクラ君! 答えてよ!」
 カムクラ君は何も答えなかった。長髪の彼の髪のせいで顔が良く見えない。
 もう一度名前を叫ぼうとする。でも、電車に乗った時から感じた眠気には勝てなくて、そのまま眠りに落ちてしまった。