
じっとりと纏わりつくような暑さで、目を開けると見覚えのない木造の天井がまず目に入った。あれ、私、何してたんだっけ……。まだぼんやりする頭で考える。確か、電車で変な駅に迷い込んで、何かに追いかけられて、それで……。
暫く頭は靄が掛かったようにハッキリとはしなかったけど、出来事を思い返していく度に少しずつ頭が澄んでいく。遠くからまだ楽し気な祭囃子が聞こえていた。
「っ!」
起き上がった。すぐに自分の体を確認する。にぎにぎと手を動かしてみれば、五体満足の体は脳の命令を忠実に聞いていた。……どうやら体は無事らしい。てっきり自分は死んだんじゃないかと、少し、でも結構本気で思った。だって、追いかけられてた何かに追いつかれるっていう自分の体験はホラーゲームなら即死亡のゲームオーバーだろうし。まあ、ゲームじゃないからこうやって生き残ってるのかもしれないけど。リアル万歳。
「目を覚ましたんですか」
「ひょええっ!?」
死ぬほど驚いた。いや、今度こそ死ぬんじゃないかって思った。
声は闇の方から聞こえた。そして、闇がのそり、と動いて、その顔が明らかになる。――カムクラ君だ。
「え、ええっ、な、なん」
「ああ、始発に乗ってみたら運良く一発目から辿り着いたので。超高校級の幸運という才能もこういう時は使えますね」
何でここに居るの!?
という、私の疑問を聞くまでもなく、カムクラ君は冗談を言う様にその肩を竦めた。対する私はあんぐりと口を開いたままだ。いやいや、カムクラ君よ。幸運にも一発でここに着いたって言ったけど、わざわざ電車に乗ってまでここに来ようとした、という事なんだろうか。一発でこの怪奇のような世界に飛び込めるって、幸運と言えど、どんだけ幸運なの。でも、そんな突拍子も無いことも何故だか信じられてしまうのがカムクラ君のすごいところだ。そんなカムクラ君は自分のズボンに着いた埃を払って立ち上がる。
「立てますか」
「え、うん。たぶん」
「なら行きましょうか」
そう言って踵を返すカムクラ君。どんどん闇に消えていきそうなその背中に慌てて立ち上がって追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ! わかんないことだらけなんだけど!」
「そうですね」
「そうですね、って……」
「詳しいことは後で説明します。時間がありません」
「きさらぎ、という言葉について何か分かりますか」
「きさらぎって、二月の旧称じゃないの? ほら、如くって漢字に月って書くやつ」
カムクラ君の後を追いかけてしばらく経つと、カムクラ君はそんな質問をした。
自分が起きた時に目にした木造の建物は、抜け出してその外観を見て見ると、まるで神社の大き目の社のように見える。もしかすると本当に神社なのかもしれなかったけれど。何の情報もない以上、何もわからない。今はカムクラ君の発言に話を戻そう。
「きさらぎという言葉を聞けば大体の人がそちらを思いつくでしょう。でも今回のきさらぎは鬼のことを指しているんじゃないかと僕は思うんです。鬼もきさらぎという読み方がありますから」
鬼? とい疑問の言葉にカムクラ君が頷く。
「ええ。、貴方は鬼門という言葉を知っていますか」
「えっと、北東の方角だよね。なんか鬼が来る方角だからとかで、昔の日本では忌み嫌われた方角って、そう古文で習った気がするよ」
「そうですね。鬼門という考え方は元をたどれば中国から日本へ伝播した考え方でした。そしてその中国では旧暦七月にその鬼門がこの世とあの世を繋ぐ、とされていたそうで」
ゴクリ、と生唾を呑む。この世とあの世を繋ぐという言葉が妙に頭に残った。
「その、旧暦七月っていつのことを指すの?」
「ざっと七月下旬から九月上旬ですね」
じんわりとした暑さが背中につぅっと汗を流させる。夜だというのに暑い。でも、ここは時間経過がバグったような世界だったから夜も昼も何もないのかもしれないけど。
それにしても、七月下旬から九月上旬って……。
「今じゃん!」
「はい」
「え、じゃあ何? 私、あの世に来ちゃったの!? 死んでないと思ったら死んでたの!?」
「何を言ってるのかわかりませんが、僕としては幽霊とかは信じていないので。あくまで可能性の一つとして考えているだけです」
「まだそれ言ってるの!?」
そうだった。カムクラ君は幽霊とか怪奇現象とか信じてないと豪語する人間だった。こんなことに巻き込まれてるのにとんだ我の強さ。そんな彼に苦笑するも、ぴこん! と私はあることを思いつく。
「ねえ! ここがあの世なのかもしれないってことは分かったけど、なんで鬼なの? 鬼って角が生えてる妖怪のことじゃないの?
私、何かに追いかけられてたのは覚えてるけど、ああいう鬼に追いかけられてたわけじゃなかったと思う」
「先ほど僕は鬼門の考え方について、どこの国の考え方を説明しましたか?」
質問を質問で返される。答えを返してもらえなかったことに一瞬眉を顰めたが、すぐにカムクラ君の言葉を思い出すことにした。だってカムクラ君、怒ると絶対鬼より怖いし、厄介だろうし。
「中国だったよね」
「はい。貴方が考えた鬼というのは日本特有の妖怪です。ですが、中国から鬼門という考えが伝播してきたのですから、中国には中国の『鬼』という存在が居る。そう考えられませんか?」
呆気にとられた。私はてっきり鬼は日本独特の存在だと思っていたからだ。中国にも鬼が居るなんて、考えて見たこともなかった。そして、その中国の鬼が自分が思い浮かべている鬼とは全く別物の存在、だなんて想像もつかない。
「簡単に言うと、中国の『鬼』は死霊のことを意味しています。日本に入ってからは日本古来の――の思い浮かべる『オニ』と重なり、今の鬼になったそうですが」
「じゃあ、きさらぎ駅は鬼の駅で、その鬼って言うのは死霊を表した言葉で、きさらぎ駅はあの世への入り口だった……ってことなの?」
「……まあ、ただの想像に過ぎませんが」
カムクラ君の言ったことを纏めればそうなる。
カムクラ君は肯定こそしなかったが、否定もしなかった。確証を持てないことを彼が断言するはずがない。でも否定もしないということは、この結論が在り得るという事でもあって。
死霊。死んだ人たちの魂のことだ。今思えば、あの社のように見えた建物は死んだ人たちの魂を鎮魂する役目でもあったんだろうか。
「でも時間が無いってどういうこと?」
「あの世とこの世を繋ぐ門がいつまでも開いてると思いますか?」
「繋がってるのって九月上旬までなんだよね? ならそんなに急がなくてもいいんじゃないの?」
「……貴方、もう忘れたんですか。ここの時間と元の世界の時間の流れは一定じゃなかったでしょう」
あ。そうだった。体感時間と言えど、自分が考えていた時間とカムクラ君が教えてくれた時間はまるっきり違った。
もし、元の世界の時間が早く流れて、知らないうちに九月上旬を迎えていたら……。
「……時間すぎちゃって門が閉じたらどうなると思う?」
「さあ。帰れなくなってそのまま死ぬんじゃないですか」
「よし急ごう! 早く帰ろう!」
そう言って急ごうとする私をカムクラ君は呆れた目で見ている。そんな目で見ないでほしい。死にたくないんだから仕方ないじゃん。
「って、どうやったら帰れるんだろう……」
はあ。とカムクラ君がため息を吐いた。呆れ果てた感じで吐かれたそのため息にに私はびくり、と肩を震わせる。頼みの綱はカムクラ君しか居ないのだ。是非見捨てないでほしいな!
「見捨てませんよ。何のために僕が来たと思ってるんですか」
カムクラ君が先導する。
「二人できさらぎ駅から帰りましょう」