あの後、俺達は死んだように眠り、坊さんの声で目を覚ました。
「皆さん、起きれますか?」
 特別寝起きが悪い狛枝をいつものように叩き起こし、俺達は坊さんの前に三人正座した。
「皆さん、昨日は本当によく頑張ってくれました。無事、憑き祓いを終えることができました」
 そう言って坊さんは優しく笑った。俺達はその言葉に何と言っていいか分からず、曖昧な笑顔を坊さんに向けた。聞きたいことは山ほどあったのに、何も言い出せなかった。
 すると坊さんは俺達の心中を察したのか、「あなたたちには、全てお話しなくてはなりませんね。お見せしたい物があります」と言って立ち上がった。
 坊さんは家を出ると、俺達を連れて寺の方に向かった。

 石段を上る途中、はキョロキョロと辺りを警戒する仕草を見せた。それにつられて俺も、昨日見たアイツの姿を思い出して同じ行動を取った。それに気づいた坊さんは俺達に聞いた。
「もう大丈夫のはずです。どうですか?」
「大丈夫です……何も見えません」
「俺も平気です」
 その返事を聞くと、坊さんはにっこりと笑った。

 大きな寺に着くと、ここが本堂だと言われた。
 坊さんの後ろに続いて寺の横にある勝手口から中に入り、さっきまで居た座敷とさほど変わらない部屋に通された。坊さんは俺達にここで少し待つように言うと、部屋を出て行った。は落ち着かないのか周りをキョロキョロしていた。
 暫くすると、坊さんは小さな木箱を手に戻って来た。そして俺達の対面に腰を下ろすと、「今回の事の発端をお見せしますね」と言って箱を開けた。
 三人で首を伸ばして箱の中を覗き込んだ。
 そこには、キクラゲがカサカサに乾燥したような、黒く小さい物体が綿にくるまれていた。
「何これ?」
 狛枝が声を上げた。よく見てみるが分からない。だがなんとなく、どっかで見たことのある物だと思った。俺は暫く考え、咄嗟に思い出した。
 昔、俺がまだ小さい頃、母親がタンスの引き出しから、大事そうに木の箱を持ってきたことがあった。そして箱の中身を俺に見せるんだ。すごく嬉しそうに。
 箱の中には綿にくるまれた黒くて小さな物体があって、俺はそれが何か分からないから母親に尋ねたんだ。そうしたら母親は言ったんだ。
「これはねぇ、臍(へそ)の緒って言うんだよ。お母さんと、創たちが繋がってた証」
 俺は子供心に、なんでこんなの大事そうにしてるんだろ? って思った。
 目の前にあるその物体は、あの時に見た臍の緒に似ているんだと思った。
「これ何ですか?」
「これは、臍の緒ですよ」
 というか、似てるもなにも臍の緒だった。
「ボク初めて見たかも」
「私見たことある」
「俺も」
「みなさん親御さんに見せてもらったのでしょう。こういうものは、大切に取っておく方が多いですから」この臍の緒も、それはそれは大切に保管されていたものなのです」
 俺たちは黙って坊さんの話を聞いていた。
「母親の胎内では、親と子は臍の緒で繋がっております。今ではその絆や出産の記念にと、それを大切にする方が多いですが、臍の緒には色々な言い伝えがあり、昔はそれを信じる者も多かったのです」
「言い伝え?」
「そうです。昔の人はそういう言い伝えを非常に大切にしておりました。今となっては迷信として語られるだけですが」
 そう前置きをして、坊さんは臍の緒に関する言い伝えを教えてくれた。

 主に『子を守る』という意味を持っているが、解釈は様々。『子が九死に一生の大病を患った際に煎じて飲ませると命が助かる』とか、『子に持たせるとその子を命の危険から守る』というのがあって、親が子供を想う気持ちが込められているところでは共通しているらしい。
 俺たちはその話を聞いて、「へぇ~」なんて間抜けな返事をしていた。
 坊さんは一息入れると、微かに口元を上げて言った。
「ひとつ、この土地の昔話をしてもよろしいですか?今回の事に関わるお話として聞いいただきたいのです」
 俺達は坊さんに頷いた。
 ここから坊さんの話が始まる。結構長くて、正確には覚えてない。所々抜け落ち部分があるかも。

「この土地に住む者も、臍の緒に纏わる言い伝えを深く信じておりました。土地柄、ここでは昔から、漁を生業として生活する者が多くおりました。漁師の家に子が生まれると、その子は物心がつく頃から、親と共に海に出るようになります。ここでは、それがごく普通のしきたりだったようです。漁は危険との隣り合わせであり、我が子の帰りを待つ母親の気持ちは、私には察するに余りありますが、
それは深く辛いものだったのでしょう。母親達はいつしか、我が子に御守りとして、臍の緒を持たせるようになります。海での危険から命を守ってくれるように、そして行方のわからなくなったわが子が、自分の元へと帰ってこれるようにと」
「帰ってくる?」
 俺は思わず口を挟んだ。
「そうです。まだ体の小さな子は、波にさらわれることも多かったと聞きます。行方の分からなくなった子は、何日もすると死亡したことと見なされます。しかし、突然我が子を失った母親は、その現実を受け入れることができず、何日も何日もその帰りを待ち続けるのだそうです。そうしていつからか、子に持たせる臍の緒には、『生前に自分と子が繋がっていたように、子がどこにいようとも自分の元へ帰ってこれるように』と、命綱の役割としての意味を孕むようになったのだと言います」
 皮肉な話だと思った。
 本来海の危険から身を守る御守りとしての役割を成すものが、いざ危険が起きたときの命綱としての意味も持ってる。母親はどんな気持ちで子どもを送り出してたんだろうな。
「実際、臍の緒を持たせていた子が行方不明になり、無事に帰ってくることはなかったそうです。しかしある日、『子供が帰ってきた』と涙を流して喜ぶ、一人の母親が現れます。これを聞いた周囲の者はその話を信用せず、とうとう気が狂ってしまったかと哀れみさえ抱いたそうです。何故なら、その母親が海で子を失ったのは、三年も前のことだったからです」
「どこかに流れついて、今まで生きてたとかじゃないんですか?」
「そうですね。始めはそう思った者もいたようです。そして母親に、子供の姿を見せてほしいと言い出した者もいたそうなのです」
「……それで?」
「母親はその者に言ったそうです。『もう少ししたら見せられるから待っていてくれ』と」
 どういう意味だ? 帰って来たら見せられるはずじゃないのか?
 俺はこの時、理由もなく鳥肌が立った。
「もちろん、その話を聞いて村の者は不振に思ったそうですが、子を亡くしてからずっと伏せっていた母親を見てきた手前、強く言うことができず、そのまま引き下がるしかできなかったそうです。しかし次の日、同じ事を言って喜ぶ別の母親が現れるのです。そしてその母親も、子の姿を見せることはまだできないという旨の話をする。村の者達は困惑し始めます前日の母親は既に夫が他界し、本当のところを確かめる術が無かったのですが、この別の母親には夫がおりました。そこで村の者達は、この夫に真相を確かめるべく、話を聞くことになったそうです。するとその夫は言ったそうです。『そんな話は知らない』と。母親の喜びとは反対に、父親はその事実を全く知らなかったのです。村人達が更に追求しようとすると、『人の家のことに首を突っ込むな』と、ついには怒りだしてしまったそうです」
 まあ、そうだよな。
 何にせよ周りの人に家の中のことをごちゃごちゃ聞かれたら、いい気はしないだろうななんて思ったりもした。
「その後何日かすると、ある村の者が、最初に子が戻ってきたと言い出した母親が、昨晩子共を連れて海辺を歩く姿を見たと言い出します。暗くてあまり良く見えなかったが、手を繋ぎ隣にいる子供に話しかけるその姿は、本当に幸せそうだったと。この話を聞いた村の者達は皆、これまでの非を詫びようと、そして子が戻ってきたことを心から祝福しようと、母親の家に訪ねに行くことにしたそうです。
家に着くと、中から満面の笑顔で母親が顔を出したそうです。村の者達はその日来た理由を告げ、何人かは頭を下げたそうです。すると母親は、『何も気にしていません。この子が戻って来た、それだけで幸せです』と言いながら、扉に隠れてしまっていた我が子の手を引き寄せ、皆の前に見せたそうです。その瞬間、村の者達はその場で凍りついたそうです」
「……」
 全員が押し黙った。きっとみんな頭の中で昨日見たアイツの姿を思い浮かべているんだと思った。
「その子の肌は、全身が青紫色だったそうです。そして体はあり得ない程に膨らみ、腫れ上がった瞼の隙間から白目が覗き、辛うじて見える黒目は、左右別々の方向を向いていたそうです。そして口から何か泡のようなものを吹きながら、母親の話しかける声に寄生を発していたそうです。それはまるで、カラスの鳴き声のようだったと聞きます。村の者達は、子供の奇声に優しく笑いかけ、髪の抜け落ちた頭を愛おしそうに撫でる母親の姿を見て、恐怖で皆その場から逃げ出してしまったのだそうです。散り散りに逃げた村の者達はその晩、村の長の家に集まり出します。何か得体の知れないものを見た恐怖は誰一人収まらず、それを聞いた村の長は自分の手には負えないと判断し、皆を連れてある住職の元へ行くことにします。その住職というのが、私のご先祖に当たる人物らしいのですが……、相談を受けた住職は事の重大さを悟り、すぐさま母親の元に向かいます。そして母親の横に連れられた子を見るや、母親を家から引きずり出し、寺へと連れて帰ったそうです。その間も、その子は住職と母親の後をずっと付いてきて、奇声を発していたのだとか。寺に着くと、まず結界を強く張った一室に母親を入れ、話を聞こうとします。しかし、一瞬でも子と離れた母親は、その不安からかまともに話をできる状態ではなかったと聞きます。ついには子供を返せと、住職に向かってものすごい剣幕で怒鳴り散らしたのだそうです」
「それでどうなったんですか?」
 一拍おいて狛枝が訪ねた。
「子を想う母は強い。住職が本気で押さえ込もうとしたその力を跳ね飛ばし、そのまま寺を飛び出してしまったのだそうです」
 坊さんは少し情けなそうな顔をしてそう言った。
「その後、村の者と従者を何人か連れて、母親の家に行きましたが、そこに母と子の姿はなかったそうです。そして家の中には、どこのものかわからない札が至る所に貼り付けられ、部屋の片隅には、腐った残飯が盛られ異臭が立ち込めていのだとか」
 この時俺は思った。あの旅館の二階で見たものと同じだと。
「そこに居た皆は同じことを思いました。母親は子を失った悲しみから、ここで何かしらの儀を行っていたのだと。そして信じ難いことだが、その産物としてあのようなモノが生まれたのだと。その想いを悟った村の者達は、母親の行方を村一丸になって捜索します。住職はすぐさま従者を連れ、もう一人の母親の家に向かいますが、こちらも時既に遅しの状態だったそうです。得体の知れないモノに語りかけ、子の名前を呼ぶ母親に恐怖する父親。その光景を見た住職は、経を唱えながらそのモノに近づこうとしますが、子を守る母親は住職に白目を向き、奇声を発しながら威嚇してきたのだそうです」
 現実味のない話だったのに、なぜかすごく汗ばんだ。
「村の者は恐れ、一歩も近寄れなかったと言います。しかし住職とその従者は、臆することなくその母親とそのモノに近づき、興奮する母親を取り押さえ寺へ連れ帰ります。暴れる母親を抱えながら、背後から付いて来るモノに経を唱え、道に塩を盛りながら少しずつ進んだのだそうです。寺に着くと、住職は母親をおんどうへ連れて行き、体を縛りその中に閉じ込めたのだそうです」
「そんなことを……」
 が哀れみの声を出した。
「仕方がなかったのです。親と子を離すのが先決だった、そうしなければ何もできなかったのでしょう」
 坊さんがしたことではないが、は坊さんから顔を背けた。
 少しの沈黙の後、坊さんは続けた。
「母親の体には自害を防ぐための処置が施されたようですが、その詳細は分かりません。その後、おんどうの周りに注連縄を巻きつけ、住職達はその周りを取り囲むようにして座り、経を唱え始めたそうです。
中から母親の呻き声が聞こえましたが、その声が子に気づかれぬよう、全員で大声を張り上げながら経を唱えたそうです。住職達が必死に経を唱える中、いよいよ子の姿が現れます。子は親を探し、おんどうの周りをぐるぐると回り始めます。何を以って親の場所を捜すのか、果たして経が役目を成すのかもわからない状態で、とにかく住職達は必死に経を唱えたのです」
 そこで坊さんは一息ついた。
「それで、どうなったんですか?」
 狛枝の声は恐る恐るといった感じだった。
「おんどうの周りを回っていたそのモノは、次第に歩くことを困難とし、四足歩行を始めたそうです。その後、四肢の関節を大きく曲げ、蜘蛛のように地を這い回ったそうです。それはまるで、人間の退化を見ているようだったと。その後、なにやら呻き声を上げたかと思うと、そのモノの四肢は失われ、芋虫のような形態でそこに転がっていたのだとか。そしてそのモノは、夜が明けるにつれて小さくすぼみ、最終的に残ったのが、臍の緒だったのです」