
プルル、と再度スマホが鳴った。画面にはあの文字化けが。ボタンを押して再度耳に近づける。聞きなれた声がした。
『僕です。、そこの駅の名前を再度確認していただけませんか』
私はカムクラ君に言われるがまま看板を確認した。きさらぎ駅。何度見てもかすれた文字で書かれた駅名は変わらない。目を凝らしてかすれて消えた文字が無いか探してみたけれど、そんなものは無かった。
「きさらぎ駅。平仮名できさらぎ。そのままだよ」
『そうですか……。わかりました、落ち着いて聞いていただけませんか』
カムクラ君が言う。きさらぎ駅という駅名はネットで検索しても存在しなかったこと。まあ、そうだろうなと思った。カムクラ君のお陰でこの駅が怪奇なのだということを再度確認する。なら、ネットで探しても見つからないのもうなずける話だ。
『まずは公衆電話を付近で探してみてください。見つけたらタクシー会社に連絡を。ああ、でもまずはあなたの身の安全を確保してください。それと、あまり駅から離れてしまわないように。見も知らない土地で迷うとどうしようもありませんので』
私はカムクラ君の言葉に頷いて駅のホームから抜け出した。無賃で駅から出ていくのはちょっとだけ抵抗があったけど、心の中で謝って駅から出ていく。
駅の外は真っ暗だった。申し訳ない程度に配置された電灯はチカチカと点灯していて、恐怖心をあおられる。それを振り切るように足に力を入れて駅の周りを一周する。カムクラ君に言われた通り公衆電話を探したけれど、どこにもなかった。
「探したけど、ないっぽい」
『そうですか……。周りはどのような風景ですか? 山があるとか、畑があるとか、何でもいいので』
「近くには何もないかな。山とか草原が見えてるだけ。……ねえ、今思いついたんだけど、線路を辿るのとかどうかな。徒歩だとキツイとは思うけど、どこかしらに辿り着くと思うんだ」
私はホームから線路に飛び降りてそう言う。結構いい考えだと思った。電車に乗ってこの駅に辿り着いた。電車は線路の上を走るものだ。それなら線路さえ辿れば元の場所に帰れる気がした。線路の上を歩くのは犯罪だが、今回ばかりは仕方ないだろう。
『……あまり賛同はできませんが、最終手段としてなら……』
「ちょっと待って、……なにか聞こえる」
『音?』
どこか遠くから。自分の遥か後ろの方からというのが正しいのかもしれない。どんどん、と太鼓を鳴らすような音。続いて混じるようにしゃらん、と鈴が鳴るような音。その二つの音が遠くから。でもその音は鳴り響くたびに少しずつ私の背後に近づいてきている。
『僕には聞こえませんが、あなたには聞こえているんですね』
「近づいてきてる、ちょっとずつだけど、確かに」
声に焦りが混じった。怖くて後ろが振り向けない。音の主が一体何者なのか。それを考えるだけでも怖かった。
『待ってください、今線路の上なんですよね。怖いと思いますが、駅に戻った方が良いかと』
「戻るの? 怖いよ……。後ろに何がいるかもわからないのに」
『気持ちはわかります。ですが、駅の方が安全だと』
その時だった。後ろから声が聞こえた。
声は「おーい、危ないから線路の上歩いちゃだめだよ」と叫んでいる。私はその声に人が居たんだと思わずホッとして、その声の主が駅員さんなんだと思って、怖かったはずの後ろを何の疑問もなしに振り向いてしまった。
「ひぃっ」
『?』
わき目も降らず走り出す。カムクラ君が駅に戻った方が良いと言っていたことも忘れて駅から遠のくように先へ。カムクラ君が私の名前を呼んでいる気がしたが、気にしていられなかった。
私が見たもの。後ろに人が居たのは事実だ。しかし、その人には片足がなかった。私から10メートルくらい先に、片足のないおじいさんが立っていた。そして私が振り向いたのに気が付いたのか、ニィと笑って消えていった。その眼窩に目は無かった。
走り出した足が痛む。そんなに体力があるわけじゃなくて、すぐに息が上がった。足を止めたかったけれど、あの太鼓のような音がずっと鳴り響いている。どん、どん、と確かに先ほどよりも私に近い位置で鳴り響いている。また走って、足を取られて、その場にこけて傷から血が出る。痛い。痛い。死にたくない。頭の中が恐怖で彩られて、死という言葉だけが明確に浮かび上がる。怖い、いや、嫌。
『、大丈夫です。落ち着いて』
「あ、いや、カムクラ君、たすけて」
『わかってます、助けますから、落ち着いてください』
「やだ、やだ、こわい。しにたくない」
『。絶対助けます。だから』
ぷつり。
無情な音が聞こえた。何事かと思ってスマホを見れば、そこには電池残量0の表記。スマホの充電が切れたのだ。そんな単純なことなのに、私はひどく錯乱した。いや、もうすでに錯乱してたのかもしれないけど。
私はがむしゃらに走った。駅に戻れというカムクラ君の言葉を今更思い出したけど、もはや遅かった。だって、音が、もうすぐ後ろまできていたから。ここまで近づいてようやくわかった。この音の正体は、祭囃子だ。一体何の祭り? 足のない人間。どこにも存在しない駅。そんなところで行われる祭りが生きている普通の人間に良いものである可能性なんて限りなく低いだろう。
この音に追いつかれてはいけない。本能がそう告げている。
なのに走っても走っても音は遠くならない。むしろ近づいているのがだんだんと大きくなる音で分かった。限界を迎えていた私の足を思わず止める。怪我をした場所がひりひりと痛んだ。足の付け根も強い痛みを訴えていて、今思えばひねっていたのかもしれないなんて、考えた。音はもう後ろに。
途端、あたりが真っ暗になった。元々この辺りは暗かったのだけれど、細々とした電灯が辺りを照らしていたはずだ。でも、今はその明かりすらも消えた。
「え」
あれほど鳴っていた音が消えた。どうして? 逃げ切ったんだろうか。安堵するのもつかの間、見上げた空に私は違和感を覚える。私は気が付く。
違う、逃げ切ったんじゃない。追いつかれてたんだ。
そこにいるのは影だった。真っ暗な、何よりも黒いソレが私を囲んでいた。明かりの消えた訳をようやく私は知った。
「おにごっこ、もうおわりだよ」
幼いような、それでいてどこか大人びた声だった。
その声を最後に、私の意識は途切れた。