自分の部屋から出た後、私は寮のロビーでぼんやりと過ごしていた。
 スマホは自分の部屋に置いてきたから、狛枝君やカムクラ君と連絡を取る手段は無い。彼らの部屋に行って安否を確認しようかとも思ったけど、狛枝君の返信から推測すれば、今二人は私の部屋に来ていた幽霊たちを引き受けてもらっているのだろう。もしその引き受けている真っ最中に入ってしまったら、なんて思ったら足が動かなかった。怖かったのもあるが、乱入したせいで大事になってしまったら……と考えたのが主な理由だ。
 私はロビーのソファに体を任せる。今、二人はどうなっているんだろうか。無事に、幽霊に対処できているのだろうか。気掛かりで怖かったが、きっとあの二人なら大丈夫なはず、と信じる。あは、なんか、今回の私、信じることしかしてないな。でも、それしかできない。歯がゆくて仕方がない。
 更にソファに身を任せると、柔らかい感触が体中に伝わる。なんだかどっと疲れてしまった。それもそうだろう、だって今の今まで今日は一睡もできていないのだから。そのうち瞼が重くなり始めた。なんども瞼をゴシゴシとこするが、すぐに瞼が降りてきてしまう。寝たらダメだ、と思いつつ私はそのままソファに体を預けて眠ってしまったのだった。

 ぺちぺち、という軽い感触。痛くはないが、気になるその感触で私は眠りから意識を浮上させる。
「ようやく起きましたか」
 目の前に見えるのは黒い髪と赤い瞳。無表情なその顔に私は一気に意識を覚醒させた。
「か、カムクラ君!」
 すぐにソファから飛び起きる。寝起きすぐの行動だったので、体のバランスを崩しかけるもなんとか立つ。
「狛枝君は? あの後どうなったの? というか何でカムクラ君も巻き込まれてるの!?」
 思わず勢いに任せて大声でまくしたててしまったからか、カムクラ君が途中からうるさそうに耳をふさいでいた。「ご、ごめん」と謝れば、耳から手を外したカムクラ君が私の後ろに指を指す。
「狛枝ならそっちですよ」
 言われた通りに振り返れば、ソファの背もたれに腕を乗せて体を寄りかかるようにしている狛枝君がそこに居た。
 「やぁ」なんて笑って軽く手を振ったと思うと、その手を口の前に動かして大きく欠伸をする。「まさか一時間も掛かるとはね」つられるようにカムクラ君も欠伸をして、「今度何か埋め合わせしてくださいよ」と軽く零した。
 狛枝君もカムクラ君も無事だった。そう分かった瞬間、ものすごい安堵に襲われて、目の端にじわりという感触。「さん?」狛枝君がびっくりしたような声を出したが、もうその時には涙が次々とぼろぼろ目から零れてきて、慌てたような狛枝君の顔も、少し呆れたようなカムクラ君の顔も、全てがぼやけてよくわからなかった。
「よ、よかったよお! 狛枝君も、カムクラ君も、二人とも無事でよかった! 本当によかった! こ、こ、怖かったんだからぁ!」
 それはもうわんわん泣いた。同世代の男の子二人が目の前に居るのも気にしないくらいわんわん泣いた。何度も何度もしゃくり上げて、泣き止まない私に狛枝君がオロオロとして、カムクラ君に助けを求めていたような気がしたが、泣きじゃくっていた私にはよくわからなかった。ただ、心の底から安堵したような声で、「さんが無事で本当に良かった」という言葉だけは分かった。馬鹿。私よりも二人が無事だった方が何万倍も良かったよ。

 その後しばらくして、ようやく私の涙が止まりかけてきた頃、二人はソファに座った。私の右隣にカムクラ君。左隣に狛枝君だ。
「カムクラ君はね、ボクが呼んだんだ。『この前話してた遊びでとんでもないことになった。力を貸してほしい』ってね。カムクラ君なら全部まで言わなくても分かってくれると思ったし、協力してくれると思ったからね」と狛枝君。
「よく言いますね。寝ていた僕に何度も何度も起きるまで電話をかけていたでしょう。お陰様でこちらは寝不足ですよ」と欠伸をしつつ、カムクラ君が狛枝君を軽く睨んだ。
 そんなことをしていたのか、と狛枝君を見ながら、カムクラ君から借りたハンカチで目元の涙を拭きとる。「お陰様で助かったよ!」と狛枝君があっけらかんと笑った。
「で、でも。どうやって幽霊を処理したの? 二人の所にどうして幽霊が行ったの?」
「元々あの遊びは人形の中にその辺の霊を呼び込んで、何かで刺すことで部屋に呼び入れる、という儀式めいたものだったんですよ」とカムクラ君。「僕達も全く同じことをしました。人形の中にその辺の霊を――つまり、貴方の部屋に居た霊をわざと僕達の部屋に呼び込んだんです。まあ貴方の部屋に居た霊が来るかどうかは一か八かでしたが」
「その辺は大丈夫だとは思ってたけどね。さんが「次はイズルがかくれんぼ」って言ってくれたから、実質カムクラクンの所まで道が出来てたようなものだったんだ。それにボクら、超高校級の幸運もってるし。幸運にもさんの部屋に居た幽霊をちゃんと呼び込むことが出来たって訳」
「あとは正規の手順で幽霊を返せばいい。貴方は塩水を忘れて正規の手順を踏めなくなった。だから僕達が引き継いで幽霊を正規の手順で返した。それだけです」
「予想以上に数が多かったから一時間も掛かったけどね。まあなんとかなってよかったよ」
 ようやく合点がいった。私がひとりかくれんぼを終わらせたとき、子供の霊が消えていたのは、カムクラ君の方のひとりかくれんぼに引き寄せられて行っていたからなのか。
「カムクラクンから「四つん這いの子供霊のほかに二人来ました。そちらにもすぐ行くと思います」って言われて、すぐに霊が来たときは本当に怖かったけどね。あー怖かった」
「四つん這いの子供霊いた! 本当にそっちに行ってたんだ」
「あとこの遊びは一時間から二時間までが限度らしいんだ。調べたけど、遊べる限界がそれまでなんだって」
「じゃあ、もし私がひとりかくれんぼを始めてから二時間以上経過してたら……」
「遊びの域を超えて、幽霊たちが帰りもせず、ボクらの方にも寄りもせず、そのまま居続けていたかもね?」
 そう言って狛枝君がにやり、と笑う。デジャヴだ。初めて私たちにこの遊びを持ちかけた時のあの笑みだ。
「……懲りてないでしょ」
「そうでもないよ。確かにこんな風に終わったのは残念だったし、もし同じように面白そうな遊びがあるなら是非やってみたいけど……」
 狛枝君が一拍おいた。
さんにこんな怖い思いさせるのはもう懲り懲りかもね」
「同感です」カムクラ君が呟く。「こんなことで駆り出されるのは金輪際御免ですね」
 カムクラ君がソファから立ち上がる。
「どこ行くの?」
「帰って寝ます。眠いので。それに明日は早いんですよ」
 そうしてスタスタと歩いて行ってしまう。その背中を私たちは見送った。そして、一度遠のいていたはずの眠気が少しずつ顔を出し始める。欠伸をすれば狛枝君が微笑んだ。
「じゃあ、ボクたちも帰って寝ようか」
「えーと。……あの部屋で寝てもいいの?」
「大丈夫だと思うよ。全部祓ったし。あ、怖かったら一緒に寝る? 昔みたいにさ」
「寝ない」
 そう即答すると狛枝君が笑った。「そう言える元気があるなら大丈夫だよ」

 結局、その後は分かれてそれぞれが自分の部屋で寝た。
 数時間前に見えていた黒いもやもやたちはさっぱりと消えていて、本当に幽霊たちは帰っていったのだと分かった。それでも絶対寝れないだろうなと思いながら、ベッドに横になるも、元々ソファでも寝てしまった自分だ、意外とすぐに眠りに落ちた。人間の胆力って怖い。
 その後、八時きっかりに起きたカムクラ君が私と狛枝君を訪問して、使ったぬいぐるみを神社でちゃんとお焚き上げしてもらった後、全てを日向君にチクったようで、寮に帰ってきた私と狛枝君は彼に公開説教を食らわされるのだが、そんなことも露知らず、私はゆっくりと夢の世界へと旅立っていったのだった。