さざ波の、音が、聞こえる。

 重く感じる瞼を開けてみれば、目の前に映るのは夕日を反射して輝いて砂浜に打ち付ける波。ぱちぱちと目をその眩しさに瞬かせていれば、少しずつ体の感触が戻ってくる。頬にじゃりじゃりとした感触があるが、これは砂だろうか。……私は今、海を目の前に砂浜で横になっているのか。
「大丈夫?」
 唐突に上からかかってきた言葉に体を起こそうとする。体に力を入れて立ち上がろうとするも、全身がまるで鉛のように重く感じられてひどく億劫に感じられた。
「気が付いたんだね、良かったぁ」
 心の底から安心したというような声が耳に響いたかと思えば、重たくて仕方ない体が少しだけ軽くなる。どうやらこの前にいる子が手を貸してくれたようだった。その手に掛かりきりになりつつもなんとか立ち上がる。体の節々が痛く感じられるが、どうしてこんなに体が痛むのだろう。
 立ち上がって周りを見渡せば、先ほど視界に入れた海とその海に隣接したように聳え立つ洞穴があった。ここはどこなのかと体に鞭打って動かそうとすれば慌てたような声が私の動作を遮った。
「動いちゃダメだよ! キミ、ここで倒れてたんだよ?」
 その言葉にはっとした。私はここで倒れていたのか。どうして自分がここに倒れていたのだろう。何かを思い出そうとすればズキリと頭痛が襲った。
「ボクはタイ。よろしくね! ……それでキミは? ここらへんじゃ見かけないようだけど……」
 そう言って名乗るのは黄色のずんぐりとした体形が可愛らしいピカチュウだった。喋るポケモンなんていたのか……。なんて的外れなことを考えながら自分も自己紹介をする。思い出せることは、自分が人間だったことだけだけども。自分が分かることだけを名乗れば、目の前のピカチュウは目を見開いた。
「ニンゲンだって!? どうみてもキミはミズゴロウなのに?」
 その言葉に今度は私が目を見開く場面だった。ぺちりとほほを叩く。そして叩いた手をみる。足を見る。視界に広がるのは水色で。信じられないとでも言う様に海面に姿を映せば、そこにはこの出来事に驚いた顔をするミズゴロウの姿がそこにあった。ホ、ホントにミズゴロウになってる……。
 思い出せない記憶。突然にポケモンになってしまった自分。何から何まで突飛な出来事に目を白黒させていれば、目の前のタイが訝しげに私を見る。
「……キミ、怪しいな。もしかしてボクを油断させて騙そうと思ってる?」
 唐突に掛けられた嫌疑に思わず首を振る。それでもタイの追及の目は止まず、私を試すかのように口を開いた。
「じゃあ、キミの名前は?」
 名前。……そうだ、私の名前は。
 ……、という名前だった気がする。
「ふーん。っていうんだ。……うん、怪しいポケモンじゃなさそうだね」
 なんとか疑いを晴らせたことにほっとする。でも、いきなり出会った人に疑いの目を向けるなんて、ポケモンの世界も物騒なのかな。そう思っているとタイが神妙そうな顔で最近のことを語る。どうやら本当に物騒なようで、いきなり襲ってくるポケモンがいたりするそうだ。何それ確かに物騒だ。
 最近のポケモンの世界の情勢に一人納得していると、タイが前のめりに転びかける。いきなり倒れかけてきたタイをとっさに支えれば、さっきまでいなかったはずのポケモンがそこに下卑た笑いを浮かべてそこに居た。
「おっとごめんよ」
 謝罪の意思が感じられない馬鹿にしたような口調でソイツは笑った。憤慨するタイにもう一匹があざ笑うように口角を上げる。
「わからないのかい? オマエに絡みたくてちょっかい出してるのさ」
 おお、これが最近物騒だと言われている所以か。確かにこんな奴に絡まれまくっていたら物騒どころじゃないだろう。一人この世界の情勢に納得していると、どうやら話が進んでいた。タイがぶつかられたときに落としたものをこの二匹が盗んでいってしまったみたいだ。人の物を盗んだらドロボウ! そんな正論がまかり通るはずもなく、悔しいことにタイもこの二匹になす術もなく、二匹はどこかへ去ってしまっていた。
 流れるような悪事に何もできないまま、タイの落し物は盗み取られてしまった。タイのほうを見れば、耳も尻尾もだらりと下げながら二匹が去った方向をどんよりと見つめてはため息をついている。
「どうしよう……あれ、ボクの大切な宝物なんだ……」
 見ればわかる気がした。だって、盗られてからテンションが異様なほど下がっているのだから。とても大切なものだったのだと知り合ったばかりの私でも察せられた。
 タイは肩をぷるぷると震わせる。その眼には大粒の涙が浮かび上がってきていた。
「こうしちゃいられない! お願い、取り戻すのを手伝って!」
 その大きな目を涙で潤わせながら、タイは叫んだ。見ず知らずの私にいきなり頼み込むなんて、さっきまでの疑心はどこにいったのかと突っ込んでやりたいが、私もそこまで鬼じゃない。そもそもこんな子があんな悪者二人に泣かされて泣き寝入りなんて話は、そんな不愉快な話はあってはたまらない。そんなの私が許せなかった。こくりと頷く私にタイは目を輝かせる。そして輝くような笑みを浮かべては私の手を引っ張ってアイツらの去った方へと走り出していった。