一目惚れなんてもの、俺には到底縁のない話だと思ってたし、なんならそんなものこの世に存在しているかって疑っていたほどだ。それほどまでに俺は見ず知らずの誰かに惚れるなんてことはあり得なくて、理解もできなかった。でも俺は今日、その理解できなかったものを痛いほどに理解することになる。

 旅を始めてからすぐ。カノコの隣町にあたるカラクサタウンでプラズマ団と名乗る集団の演説を聞く羽目になった俺は、最初こそ聞いてはいたが次第にその内容に興味が失せた。なんだよポケモンの解放って。なんでポケモンを貰って旅に出た矢先にこんなしみったれた話を聞くことになるんだか。未だに長々と続く演説に辟易とした俺は、この演説を聞いている奴らの顔をぐるりと見渡した。困惑する者。納得する者。否認する者。三者三様の反応を聞いている人々は示していた。こんな滅茶苦茶な演説にうなずく奴も居て、俺は目を見張った。こういうやつが詐欺とかで騙されたりするんだろうな。
 そんな時だった。ぐるりと回した目線の中で、ある女の子を見つけた。その子は俺よりも前の方で話を聞いていて顔はあまり見えなかったけれど、頭頂から背中に流れる黒い髪がとても綺麗で目を奪われた。どんな女の子なんだろう。背丈は俺と同じくらいに見える。同い年くらいなのだろうか。ただ見かけただけのその子に思考が奪われる。こんなのは初めてだったから、俺は生まれて初めての思考に困惑するしかなかった。
「トウヤ。演説もう終わったよ」
 呼びかけられたその声にハッとする。声の方に振り返ればチェレンがこちらを覗き込んでいた。どれほどの間戸惑っていたのだろう。あのプラズマ団は演説を終え街を去ろうとしており、集まっていた人だかりも一人また一人と解散しているようだった。先程の女の子の方をもう一度見れば、もうそこには誰も居なかった。この短時間で彼女も解散してしまったのだろうか。なんだか寂しく感じられて俺は肩を落とした。この街に住んでいるなら、滞在中に会えたりしないだろうか。なんて自分らしくないことを考えながら。

 それからしばらくして俺はポケモンセンターに居た。あの後、Nという男にいきなりバトルを挑まれてなんとか勝ったけど、俺のミジュマルも当然無傷では済まず、傷を治すためにポケモンセンターに来たのだ。ミジュマルの入ったボールをジョーイさんに預けて椅子に座る。アイツ、何だったんだろう。ポケモンの声が聞こえるとかなんとか言ってたけど見るからに怪しさ満点だった。旅する最中にはあんな奴と出会ったりすんのかな。前の演説といい、幸先があまりよくないな。
「隣、いいですか? 他の椅子空いてなくて」
 唐突に頭上から降ってきた女性の声に顔を上げる。そして目を見開いた。あの女の子だった。
「あ、どうぞ……」
 俺の返答にありがとうとほほ笑む彼女はとても可愛い人だった。先ほどは見えなかった顔はまるでテレビの中のアイドルのように整っていて。綺麗な黒髪がよく似合う女の子だった。初めて会った筈なのに。……どうしてか、どこかで見たことがある気がした。
「旅、してるんですか?」
「え。ああ、はい」
「あ、ごめんなさい。持ってるリュックとか、新しく見えたから。旅を始めたてなのかなって。思わず声かけちゃいました」
 唐突でしたよねと眉を下げる彼女に俺は首を振る。
「大正解です。実は今日旅に出たばかりで。貴女も旅をされてるんですか?」
「わぁ今日旅に! すごい日に会っちゃったかも。……私もね、4年ほど前に旅をしてたんです。懐かしいなぁ……」
 そう言って彼女は昔を懐かしむような眼をする。そして、また旅をしたいなぁと呟いた。なんだかその声が少し悲しく聞こえて、俺は知らず知らずのうちに口を開いていた。
「なら、俺と一緒に旅しませんか」
「えっ?」
 彼女は目を見開く。当たり前だ。いきなり知らない人に一緒に旅をしないかなんて問われたら当然の反応だ。自分でも変なことを口走ってしまったと慌ててしまう。
「ああその、俺、旅始めたてだから、旅の経験ある人とと一緒に旅ができたらいいなって……。えっと、もしよかったら……なんですけど」
 俺の言葉に彼女はポカンと口を開けてしばらく呆気に取られている。くそ、俺今すごいカッコ悪いな……。変に緊張して変なこと口走って。ドン引きされただろうな。がっくりと肩を落としてしまえば、隣からふふふと笑う声がした。笑われて当然のことをした覚えはある。恥ずかしくなってきてさっきの言葉を取り消そうと思って俺は再度口を開いた。
「やっぱさっきのナシで……」
「いいよ。一緒に旅しよっか」
 今度口をポカンと開けたのは俺の番だった。隣に座る彼女はそんな俺を見ながらいたずらっぽく微笑んでいる。とてもかわいらしいその笑みに俺は目が離せなくなる。なんかさっきから俺、変だ。
「私なんかでよければだけど」
「……嬉しいです。あの、これからよろしくお願いします」
「うん、よろしくね」
 そう笑った彼女は手を差し伸べる。俺も手を出してその手に握手をすれば、柔らかく握り返される。ちょうどその時、ジョーイさんに俺の名前が呼ばれた。きっとミジュマルが完治したのだろう。俺がジョーイさんの方を振り返った瞬間、彼女の手がそっと離れた。
「トウヤくんっていうんだね。いい名前」
「そういえば貴女の名前は」
「私? 私はって呼び捨てでいいよ」
 ほら、行ってきなよ。そう言っては微笑む。俺はその笑顔に押されるように歩き出した。その笑顔に既視感を覚えたまま。