対向車線のまぼろし

 それはある日のことだった。
「戦刃さんって本読むの?」
 彼女からすれば本当に何気ない質問のつもりだったのだろう。でも私は本の事なんて何も分からないし、こういう時どうやって返せばいいのか分からないからただ黙って首を振るだけだった。
「そうなんだ。それがね、この前呼んだ本の主人公が戦刃さんみたいな女の子で、ちょっと思い出しちゃって」
 私みたいな女の子? そういう疑問が顔に出ていたのだろうか。さんは「興味ある?」と続けた。ちょっと興味が出てきていた私は小さく頷くと、さんは本当に嬉しそうに語りだした。まず最初に本の題名、そしてその内容。私たちとそう変わらない年齢の女の子がある切っ掛けをもとに身の丈に合わない銃火器をその身に担いで硝煙が漂う世界へ身を投じていく話。
 彼女は話し上手だ。その本のネタバレをしないようにしながら、それでいてその魅力を損なうことなく他人にお勧めできる。軽く流そうと思っていたのに、気が付いたらその本の中身が気になって仕方ない自分が居る。
「その本って学校の図書館にある?」そう聞けば前の彼女は顔を輝かせた。
「……えっと、まだ読むって決めた訳じゃないんだけど」その笑顔にちょっと気圧されそうになって視線を少し逸らすも、さんはそんなことも気にすることなく顔を勢いよく縦に振って「あるよ、あるある!」と笑う。
「本はね、気が向いたときに読めばいいんだよ」
 さんが笑う。屈託のない笑みで。
「だからね、戦刃さんも無理して読むことも無いし、読むのもちょっとした暇なときでいいの。でも、そんなちょっとした暇を潰すための選択肢として読書が出てきたら、それはきっと嬉しいなって」
 照れ臭そうに笑う彼女。何故だか私はその笑顔が頭に沁みついては離れなかった。

 寮のベッドの上。パタンと本を閉じる。
 結局、あの後いつもなら足を運ばない図書館に行き、読んでしまった。気が付けば壁に立てかけられた時計はもういい時間を指している。
 そんなに熱中して読むつもりは無かったのに、気が付けば最後まで読み進めてしまったのは本の魔力か、それとも。昼間見た彼女の笑顔を思い出す。
 本の主人公はかっこよかった。突如見舞われた理不尽な非日常の中で、それでもその明るさを損なわず、かといっていつもまでも能天気な考えではなくその場に即した判断力と決断力を有していた。プロの目から見ればその銃火器の扱いや不慣れさ杜撰さには目もあてられない所もあったが……、そこは創作なのでよしとしよう。
「戦刃さんみたいな女の子」彼女の言っていた言葉を思い出す。
 さんには私がこんなにかっこいい女の子に見えていたのだろうか。無意識に口角が緩んでしまう。少し嬉しい。
 読み終えたのだから、明日返さないと。本を持って鞄に戻そうとした時、勢いよくドアが開いた。
「おねーちゃんってさぁ。そういう本読む性格だったっけ」
 ドアが壊れるんじゃないかって程の音の後、入ってきた矢先に妹が言う。目敏く私の本を見つけたのだろう。盾子ちゃんはその目と口をにんまりと歪める。
「根暗が読書とか酷すぎじゃね? 陰キャまっしぐらじゃん」
「そ、そうかな……。でもね、面白かったんだよ、この本……」
 盾子ちゃんは「ハァ?」と目を吊り上げる。とっさに謝ればつまらなさそうに溜息を吐かれた。
「お姉様。お忘れなのでしょうか。わたくしたちはそのような高校生活の青春……つまり同級生との仲良しごっこをするためにこの学園に潜入したわけではないのですよ」
「分かってるよ……。絶望を世界中に振りまくため、でしょ」
「分かってんならアタシたちにそんな本読んでる暇なんてないっつーの!」
 盾子ちゃんは私の手にあった本を奪い取る。
「アタシたちは絶望なの。それ以外何にも無いの。分かってんでしょそれくらい」
 暗澹とした目と目が合う。そうだ。自分たちは結局のところ、この目の側だ。明るくて、はっきりとして、キラキラ輝いてて。そんな人間じゃない。
「うん。そうだよね。ごめんね」
「なら今日も張り切っていきましょー! 世界に絶望を与えるためにさ!」
 私は使い慣れた銃火器を手に取る。整備をしていく度に、かっこいいと笑ってくれたあの子の笑みが少しずつ消えていく。ごめんね、さん。私、あなたが言うようなかっこいい女の子じゃなかったよ


title by 天文学