「それじゃデート行ってきます」
 その言葉は巌戸台分寮の面々を凍りつかせるには十分すぎる言葉だった。
順平は食べかけのポテチを落とし、ゆかりは手元のネイルをぶちまけ、風花はパソコンを床に落としかけた。ちなみにアイギスは外出中である。そしていつも彼らを先導しているリーダーこと有里湊はそんな彼らを目にしても不動であった。いや、動けなかったのかもしれない。
 自分が言葉を発した瞬間、寮の面々が挙動不審になったのに余程驚いたのか、この現象の元凶であるも寮のドアに手をかけたまま硬直していた。そんな彼女にようやく正気を取り戻したのか有里が近寄る。その顔は美しい満面の笑みであるのにどこか威圧感を感じさせるその表情には思わずたじろいだ。
「そのデート、女の子と?」
「え、い、いえ、男です……」
 ぴしり。巌戸台分寮の面々は確かにこの音を聞いた。何の音だったのかは分からない。ただ、この音が有里の方から聞こえるのだけは分かった。今にでもハルマゲドンを放ちそうな有里から確かに聞こえたと後のゆかりは語った。
「あ、あの、待ち合わせに遅れちゃうので、えっと、行ってきます!」
 こんなところに1秒でも居られるか!とでも言いたげにはドアを開けて駆け出した。有里はその背中を無言で見送る。彼らの間で一悶着起きなかったことに他の面々はほっとため息をつくが、それも一瞬だった。「追いかけよう」この有里の言葉に平穏はぶち壊されたのだ。

 所変わってポートアイランド駅。息を切らして駆けつけたは駅に一人の人影を見つけては満面の笑みで手を振り近づいていく。その姿を少し離れた位置から見つめる人間が4名。有里とその有里に脅されるような形で連れてこられた2年生達である。
「山岸」
「はっはい!」
「アナライズ」
「えっと……分かりました……」
 有里の有無を言わさないその口調に震え上がる風花。そんな彼女に哀れみの目を向ける2名。そんなヘンテコ集団に見つめられているとは露知らず、少し離れた先のはようやく会えたその人に笑顔を向け続けていた。その誰かに向けられた笑顔によって有里の怒りのボルテージが上がっているなど知らずに。
 「『久しぶり、1年見ないうちにまたかっこよくなっちゃって』『そういうお前はちんちくりんのままだけどな』『なにそれ久々に会う人間に言うコトー!?』って話してるみたいです。どうやら昔からの知り合いみたいですね」
「ふぅん……」
 いつもよりもワントーン低い相槌に2年生達は震え上がる。いつ怒りの矛先が八つ当たりという形で自分に向くか分からない。そう考えた面々は有里の怒りを鎮めようと動くことに専念し始めた。
「ほら!有里くん!仲がいいだけかもしれないじゃない!気にすることないよ」
「『今日は1日こっちにいるんでしょ!嬉しいなぁ!』『お互い歳とってからは一緒に居ること減ったもんな。今日は1日お前に付き合うよ』『ねぇねぇ今日ホテルなんでしょ遊びに行っていい?』『お前なぁ……』だそうです」
「へぇ……仲が良いだけでホテルまで遊びに行くわけ……」
「ふ、風花!」
「ごめんなさいゆかりちゃん!」
 悲しいかな、火に油を注ぐ結果になってしまっただけであった。もはや背後にルシファーを従えているかのように見えるほど魔王となった有里を止められるものは誰もいなかった。ゆかりたちにできることは早く今日という日が過ぎることを祈るだけとなったのである。

 それからは地獄だった。その男とが近づく度に召喚器を構える有里を3人全員が全力で組み付く事で事なきを得たり、どこから持ち出したか小型剣を抜こうとした時には順平が体を張って止めたりしていた。「順平どいてアイツ殺せない」と順平が一閃された時にはいつも順平を罵倒するゆかりでさえ慰めの言葉をかけながらディアをしていた。暴走した有里はもう誰にもどうにも出来なかったのである。
しかし、そんな地獄もついに終わりの時が来た。日が暮れ、もう夜になるという時間になってどうやら2人はお別れムードになっているらしかった。心身ともに疲れきったゆかりたちは漸くかと肩の荷を下ろす時がきたのである。
「『今日は楽しかった。また一緒に遊ぼうね』『俺一応今年受験生なんだけど』『受験が終わったら!決まってるでしょ!……迷惑なんてかけたくないし』『まあ、と遊ぶのは迷惑でもなんでもないからな。また遊ぼうな』『うん! えへへ……』………………仲がいいですね…………」
「よくもまあイチャイチャとしてくれるよね。羨ましいったらありゃしないよ」
「おーい有里もう本音ダダ漏れだぞ……」
 的確にツッコンだ順平が一瞬にして吹き飛ぶ。それをゆかりと風花は感情のない瞳で見送った。今日丸々1日見続けた光景だった。もうなんの感情の変化も起きなかったのだ。
「でもこれでようやく終わりみたいですね」
「そうそう!流石にホテルとかは冗談だったみたいね」
「では私達も撤収しましょうか……あれ……」
 風花の声に今すぐにでも有里を連れて撤収しようとしたゆかりの手が止まる。心無しかその手は震えていた。
「な、なに風花? もう終わったんでしょ。帰ろうよ」
「あ、あれ、まだ2人話してます。えっ、話してるんじゃない。これ私たちに向けられてー!?」
『影でコソコソしてるような奴に渡す気なんて無いけどな』
 それは確かに聞こえた。風花の通訳がなくとも聞こえた声にゆかりや風花はおろか、有里でさえも固まった。急いでゆかりは男の方を見つめるが、もうと別れた彼はこちらに背を向けホテルの方へと歩いていく。おかしい。自分たちは確かに離れた位置で監視していたはずだ。見つかることなんて。
「アイツ……」
 有里の声にゆかりはハッと正気にかえる。アイツおかしい人間技じゃないとゆかりは有里に続けようとしたが、その後の有里の言葉に別のことに全力を注ぐことになったのだった。
「アイツ絶対殺す」

 ヘロヘロになった体で寮に帰宅したその少し後にウキウキとしたが帰宅した。たっだいまー!と楽しそうに言うに対し、オカエリナサイタノシカッタ?と死にかけの順平が返す。カタコトで話す順平に首を傾げつつもは楽しそうに今日一日のことを語る。ゆかりは一度聞いたカセットテープをもう一度巻き戻して聞いているかのような気持ちになりながら彼女の話に耳を傾けた。その最中にアイギスもどこへ行っていたのか帰宅していた。
 「さん。その男性の方とはどのような関係なのでありますか?」とアイギスの質問。ぴしりとその場の空気がまた凍る。確かに気になっていた。確かに気になってはいたけども誰も怖くて聞けなかった質問をアイギスはぶち抜いて行った。凍った空気に震える3名にその空気を醸し出す元凶有里。鈍感なことに全く気づかないアイギスとは和気藹々と話を続けていた。
「シンのこと?シンはね、私のはとこなの!」
「はとこ、でありますか。又従兄弟とも言いますね。そのシンさんはさんの親戚なのでありますね」
「うん! 昔住んでる家が近かったからもう幼なじみみたいなものなんだけどねー」
凍った空気が溶けた。はとこ。又従兄弟。有里がブツブツと呟く。そしてホッと息を吐いた。なるほどはとこ。それならあの距離感もあの仲の良さも納得できる。ゆかりたちも有里以上に安心した。彼とはまた遊ぼうと約束していたが、はとこなら安心できる。もうあの地獄は感じないで済むのだ。そう思っていたのに。
「はとこは6親等に当たりますから、さんとその人は結婚出来るのでありますね」
「け、結婚!? そんなこと考えてないよー!」
アイギスが爆弾を落とした。否定こそするが顔は真っ赤なを見てゆかりは天を仰いだ。ああ、なるほど渡す気は無いってそういう意味。はははと乾いた笑いが零れる。地獄から解放されたと思ったがまだまだ地獄は続いていた。もう懲り懲りだ。
アイギスゥーーー!!!と叫びたかったがもうそんな気力は残ってはいなかった。ガタッと有里が椅子を揺らす。手元には召喚器。彼が何をしようとしているのか大体把握が着く。もう投げ出してしまいたかったが、そうすればきっとSEESのリーダーが犯罪者になってしまう。それだけは避けなければならない。震える手でゆかりは召喚器を抜いた。お父さんごめんなさい。親不孝な娘で。今そっち行くからね。