体を締め付ける感覚を覚え始めて、どれだけの時間が経ったのだろう。そう長く無かった気もするし、そこまで短い気もしない。ただ、1つ分かるのは、私に抱きつく少年、私の可愛い従弟であり、弟分であったはずの雨宮蓮が、とんでもない力で私に抱きついてることだけであった。
「姉さん…もうどこにも行かないで、ずっと俺の傍に居て」
 世の中の女子が見たら卒倒するであろうほど、美しいかんばせを恍惚に歪ませ、ほう、と溜息と共に紡がれた言葉は世の中の女性が喜ぶような内容であったが、そんなのは私には関係なかった。
 どこにも行かないでじゃねーよ、どこにも行けねーよ、お前が抱きついてるせいでな!
 この状況から助けて欲しくて仲間に顔を向けるが、目線の合ったゆかりさんからは、面倒事に巻き込まれたくないとでも言いたげに、スッと目を逸らされただけだった。この裏切り者……!
 
事の始まりは、迷宮探索を続けていたSEES&自称特捜隊のグループが怪盗団と名乗る彼らに出会ったことだった。
 殴っても斬ってもうじゃうじゃいるシャドウ。若しかすると倒す数よりも生まれ出る数の方が多いのでは、とまで考えられる程には、シャドウ殲滅をいくら掲げようとも、その先が見えないことが続いていた。
 そんな折に新しく加わった仲間の怪盗団は願ってもない援軍であったのだ。ただ1人、そのリーダーを除いて。
「もしかして、…姉さん?」
 私の姿を視認すると同時に紡がれたその声に、私だけでなく他のメンバーも疑問符を浮かべる。明らかに私よりも年上であろう男性に姉と呼ばれるとは思っていなかったのである。
 そもそもの話、私を姉と呼ぶ子は2人しかいない。片方のことは省かせて頂くが、もう片方は現在(というより私の時間軸)では未だ小学生なのだ。
理解しろという方が無理がある。それでもあの時の私は、疑問しか出ない心を呑み込みようやく震えた声で言葉を発した。
「蓮なの?」
 その言葉と同時にリーダーらしき青年が膝から崩れ落ちる。咄嗟に支えてあげようと思って近づく。その時、その細腕のどこにそんな力があるのか不思議になるくらいの力で腕を掴まれた。
「姉さんが俺より年下なの地雷です!!!!!!!!!!!解釈違い!!!!!!!!」
 腕を掴んだと思った次の発言がこれである。
「いや、……は?」
「姉さんは俺より年上だから姉さんなんだ…年上だから俺の事を包み込んでくれてたんだ…こんな俺より下の姉さんに抱きついたって俺が完全にヤバい奴じゃないか」
 いや既にお前やべぇよ。
 困惑した頭で怪盗団の面々を見ると、あちゃーとでも言いたげな顔で困った顔をした子達しかいなかった。え?何?これ通常運転なの?ついこの間まで「姉さん大好き!結婚して!」って言ってくれてた小学生の蓮は将来こうなるの?信じられないんだけど。……いや片鱗あったわ。というか腕がすごく痛い。解釈違いなら早急に離して頂きたい。
「でも姉さん…ずっと会いたかったんだ…もう離さないから…」
「うん、痛いから離してほしいな!?腕だけじゃなく目線も痛いよ!?」
「解釈違いでも姉さんは姉さんだね…そんな姉さんが大好きなんだよ」
 どういうことだよ!?わかんないよ!
 完全に自分の世界入っちゃってるけど、ここ怪盗団と自称特捜隊とSEESの面々いるんだからね!目線ヤバいよ!
 蓮を何とか落ち着かせて、事態の収拾を図ろうとしたが、腕だけで飽きたらなかったのか、無駄に美麗な動きで私の体がすっぽりと蓮に包まれる。ときめくと思うか?心の中ひえっひえだよ。
 まあ、これが事の次第である。話は冒頭に戻る。

 どうにかならないかとあれこれ考えていると、SEESの面々から動きが出る。いや違う、動いたのはリーダーの有里先輩だった。
 彼はつかつかと歩き近づいてくる。最初は助けだと思ったが、すぐ違うと悟る。顔がすごく怖いし、背後にはタナトスを携えてる気がする。これは、本気だ。
「返して」
「嫌だ」
 会話はそれだけだった。会話だけは。
 この会話の後、とんでもない衝撃を感じる。私は蓮に守るかのように、更に強く抱きしめられたおかげで無傷だったが、先輩と蓮は大丈夫だったのだろうかと心配するもそれは無用とすぐにわかった。
 タナトスとアルセーヌがとんでもない殺気を漂わせながら鍔迫り合いをしていたのだ。
「怖…」
「大丈夫だよ姉さん。すぐに終わるから」
「心配しないで、
「いや、アンタらが怖いんですぅううううう」
 私に振り向いた2人はとんでもなく優しい笑顔を向け、私から視線を外すと般若のような表情になる。
 その変化っぷりが怖すぎるんだけど、分かってるんだろうかこの2人…。

 2人は激戦を繰り広げていた。
 仲間同士でなにやってんの?なんて言葉をかける余裕なぞなく。私は蓮の腕で震えるしかない。怖すぎる。あんなに可愛いと思ってた弟がまさかシスコンになってたってだけでもショックなのに、信頼していたリーダーがこんなにもキレてるのを見るのは初めてで、それも怖かった。
「姉さん、怖いよね。大丈夫だから」
 激戦を繰り広げている当人とは思えないほど、優しい笑顔を向けられる。それに負けじと張り合うかのように有里先輩も美しすぎる微笑をこちらに向けた。
、怖がらないで。こっちにおいで」
「ヒョエ……」
 いや私が怖いのアンタらなんですけど分かってます?その疑問も虚しく彼らは激戦を続ける。
 さすがに、私を抱えながらの戦いは厳しいのか、蓮はそっとトラフーリを詠唱していた。この戦線から離脱するのかと思いきや、移動したのは私だけで。安全圏に飛ばされたのだと理解するのには少しかかった。
 そして安全圏に私を飛ばしたのを確認した2人は、更に猛烈な攻撃をしだした。有里先輩は傷つけたくない対象がいなくなったから、蓮は守りながら戦う必要が無くなったから。そんなことは梅雨知らず私は地面に座り込み、ポカーンと口を開きながら、「さっきの手加減してたのか」と呆けるしかできなかった。そんな私の肩をそっと包む存在がいた。かなりびっくりしたが、相手を見て安堵する。自称特捜隊のリーダー、鳴上くんだ。
「すまない、驚いたか?」
「う、ううん。平気」
 平気なわけない。ショックがかなり大きいのだ。それでも何とか平静を装う。せめて私は平穏にしなくては。
「平気なわけないだろ。どこか安全なところで休もう」
「そんな、気にしなくて良いのに、」
「俺が気にする。心配なんだよのことが」
 そう言って私の顔を覗き込む鳴上くんの顔は、強がりを言った私を心底心配しているかのように苦しそうに歪んでいた。そんな顔をさせてしまったのかと、少し申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね」
「謝るなよ。俺がしたくてやってるんだから」
「…優しいね、ありがとう」
「うん、俺ものそういう笑顔が見たかったんだ、こちらこそありがとう」
 さっきの猛烈な戦いとは打って変わって、怯えは引っ込み、鳴上くんの優しさに暖かい気持ちが溢れてくる。鳴上くんは和らいだ私の表情に安心したのか、「立てるか?」と優しく支えてくれた。

「抜け駆けとは感心しないな、悠」
「嫉妬か?男の嫉妬は見苦しいぞ、湊」
 前言撤回。まさかこんなほんわか話で終わるわけがなかったのである。
 湊さんはワイルドの中でも特異で、ペルソナを2体同時使役できた。タナトスをアルセーヌと戦わせながら、オルフェウスをこちらへと寄越していたのだ。すんでのところで、鳴上くんはイザナギで対応する。
「僕とジョーカーが激突して手一杯の所で、悠がをかっさらう。良いね、実に有用だ。僕とジョーカーがやり始めた時にすぐに考えついてたんじゃないのか?この策士。でも、それを僕が許すとでも思ってたか?」
「人聞きが悪いことを言うな。これだから男の嫉妬は醜いと言われるんだぞ。最も、既に醜い争いをしている癖にそれを更に広げる気か?」
 鳴上くんがせせら笑った。この人さっき私に優しい笑顔を向けてた人と同一人物なんだろうか。にしてはすごく怖くないですか。
この恐怖は多分私だけじゃない。怪盗団、自称特捜隊、SEES。それぞれのリーダーが本気で争っているのだ。彼らに適うメンバーは居ない。本気で争った彼らを止める手段は存在しない。

 蓮が熾烈な攻撃を繰り返し有里先輩にぶつける。それを何とかいなしながら、有里先輩は鳴上くんを逃がさないように目敏く攻撃を続け、そんな鳴上くんは無論攻撃を避け、有里先輩に対して必死な蓮から落とそうと不意打ちを先程から続けていた。
 なんだろう、この三竦み。その中心に自分がいるというのがなんとも恐ろしい。
 ただ、彼らは忘れてはいないだろうか。ここにも、ワイルドはもう1人存在するということを。そして、この状況への恐怖こそあれど、同時に怒りを覚えつつあったことを、彼らはきっと気がついていなかったのだ。
 三竦みは私を中心にしながら形成されている。それなのに、当の本人らは中心にした私の意見を聞く気なんてさっぱり無いのだ。キレてもよくないだろうか?いや、いいだろう。傍にいた鳴上くんに気が付かれないよう、腰のホルダーからそっと召喚器を抜く。うん、この子なら彼ら全てのペルソナの弱点を付ける。鳴上くんが気がついた。でも遅い!もう私は召喚器の引き金に手をかけている!
「コウリュウ!」
 その後のことはあんまり覚えていない。周りが引くぐらい魔法を打った気もするし、暴れていたリーダーたち以上に怖がられた気がするけど、覚えてないったら覚えてない。ただ、彼らがちゃんと私の意見を聞いてくれるようになったから、まあ許してあげてもいいかもね。