「眠れないな……」
そう言って見つめるのは自分に割り振られた部屋の天井。じっと見つめても何の変化もある訳でもなく。変わらない天井がそこにあるだけだった。
モゾモゾと布団の中で寝返りを打ってみるが、眠気など到底出てくるものではない。突然この学園に閉じ込められただけでなく、今日はあんなことが合ったのだから……。そこまで考えて辞める。考えたってなんにも変わらないし、戻りもしないのだから。
色々考えて、布団から這い出る。寝間着から着替え、外に出る準備をした。この学園からは出られない。分かっている。行く先にあてなどなかった。眠くなるまで外でも出歩こう。ただそう思っただけだ。
「赤松……ちゃん?」
中庭を出歩くとそこには、赤松ちゃんが居た。
なんでこんなところに……と声をかけると彼女の肩がびくりと跳ね上がる。
「なんだ、ちゃんか……びっくりしちゃった」
「驚かせちゃったみたいだね。ごめん」
一瞬強ばらせた顔で振り向いた赤松ちゃんは、私の姿を確認すると綻ぶような笑みを浮かべる。
「どうしたの? こんな真夜中に」
「ちょっと……寝れなくてさ」
「あー、私もなんだよね!」
同調してくれる彼女に、あんなこと合ったばかりだもんね、と返そうとして口を噤む。あんなこと。あんなこととはなんだっただろうか……。
「ちゃん?」
「えっ?」
「意識飛ばしてたみたいだよ? 大丈夫?」
「あ、ははは、平気」
ならいいんだけどさー。と微妙に納得がいってなさそうな赤松ちゃん。そんな彼女に心配かけさせまいと微笑む。それに眉を顰めつつ赤松ちゃんは顔を逸らした。
「にしてもさ、大変だよね」
「大変?」
「こんなところに閉じ込められて、コロシアイしろって言われてるんだよ! 信じられないよ」
コロシアイなんかよりピアノ弾きたい!と手をわなわなと震えさせる赤松ちゃんに相変わらずだねと笑う。「ほら、私ピアノバカだし」と赤松ちゃん。ピアノバカで超高校級と褒め称えられるまできているのだから、そんなことない、凄いよ。と返せば彼女は笑顔から一変して顔を曇らせた。
「凄いのはさ、みんなだよ」
「みんな?」
「そう、みんな」
「……どうして?」
赤松ちゃんは俯く。私は負けちゃったからさ。何に。赤松ちゃんは何に負けちゃったというのだろう。疑問を投げかければ、知ってるでしょ?と困った笑みを浮かべるのだから、私は何も返せなくなる。
「私、焦っちゃったんだよね」
「誰だって焦るよ」
「うん、でも、私はそれで取り返しのつかないことしちゃった。どうしようもないよね」
どうしようもなくない!と勢いで立ち上がれば、赤松ちゃんは困り眉のまま笑う。そんな顔して欲しい訳じゃないのに。どうして伝わらないのだろう。なぜだろう、どこからかピアノの旋律が聞こえる気がする。
「どうしようもないんだよ。もう過ぎちゃったことだからさ。だって、私ー」
違う。違わない。頭の中で相反する言葉がグルグルする。そのせいで、赤松ちゃんの言葉が頭に入らない。グルグルと頭の中が渦巻いて、それに連動するかのようにピアノの旋律がどんどん大きくなってきて気持ち悪い。頭が痛い。近くで悲しそうに笑っているはずなのに、赤松ちゃんが遠く感じる。
「赤松ちゃん、まってよ、いかないで」
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないよ」
「大丈夫」
大丈夫と繰り返す赤松ちゃん。そんな彼女に触れたくて手を伸ばす。なのに届かない。近い筈なのに届かない。
「いかないで」
「ちゃんはさ、生き残ったんだから」
「そんなこと言わないで、いかないで」
旋律に負けないように張り上げた声が、手が、震える。どうして言葉も手も届かないのだろう。おかしいな。おかしい。あの時だって届かなかった。あの時? あの時とはいつの事だろう。
「ちゃん、ちゃんと寝なきゃだめだよ。生きる為にも」
「赤松ちゃんだって、今ここにいるじゃないか!」
「私はもう起きれないよ」
子供の駄々のように叫ぶ。諭すように紡ぐ赤松ちゃんの言葉はピアノの旋律のように美しくて、儚い。
「分かっているでしょ?」
頭が痛い。笑う赤松ちゃん。その細い首には似つかわしくない鉄の首輪。痛い。頭が痛い。でも、きっと、もっとずっと赤松ちゃんの方が痛かった。いかないでよ。言葉はもう出なかった。彼女が笑う。笑わないで。どうして笑っているの。
「さよならちゃん。生き残ってね」
ぐしゃり、と何かがつぶれる音。いつの間にかピアノの旋律は聞こえなくなっていた。
目が覚めた。勢いよく開かれた目に映るのは変わることの無い天井だった。
着替えたはずの寝間着はそのままだ。痛む頭を抑える。夢だったのか。夢だ。だって赤松ちゃんは今日死んだのだから。
ベッドから起き上がる。時間はまだ夜を指し示していた。まだ寝ないといけないのか。眠くない。いや、寝たくない。目を閉じれば夢の赤松ちゃんの笑顔が嘘のように蘇る。
『ちゃんと寝るんだよ。生きる為にも』
笑いながら言う赤松ちゃん。酷いよ、先に死んでおいてこの言葉。再度寝転がる。夢で鮮明だった赤松ちゃんはどこにもいない。こんなの、こんなのって。
まるで呪いみたいじゃないか。