それはボクが食堂に行こうとした時に聞こえてきた。
「ねぇねぇちゃんの好みのタイプ教えてよ!」
陽気にきこえてくるのは朝日奈さんの声だ。その言葉からさんも一緒にいるらしい。朝日奈さんを肯定する声もチラホラ聞こえる。声からして腐川さんや霧切さんだろう。どうやら女子での恋バナというやつを開いてるみたいだ。
「私の? うーん好みのタイプかぁ」
さんの声を聞いた瞬間体がビクッと硬直する。朝日奈さんの声を聞いた時から居るとは分かっていたけど、なぜだか緊張してしまう。ボクはそのまま食堂のドアの影に隠れた。なんだか情けない。食堂の中にいるみんなからは見えないような位置に隠れたボクは情けないと思いながら中の会話に耳を澄ませた。さんの好みのタイプ。知りたい。でも聞きたくない。そんなジレンマがボクの心の中でせめぎ合っている。
「特に考えたことないからよく分からないかも」
「でもでも好みのタイプってあるでしょ? 考えてみてよー」
朝日奈さんナイス!と思うボクと朝日奈さんそれ以上はやめて!と焦るボク。うーんうーんと唸るさんの声を聞いて彼女の表情を心に思い浮かべながら、ボクは何かに縋るような思いで手に汗を握った。
「……年上」
捻り出すように出した言葉をボクは間違いなく聞き取る。年、上。年上ってどこからどこまでなんだろう。同級生でも誕生日が早ければアリなのかな。ボクはさんの誕生日を知らないけれど、4月生まれのボクより早く生まれている人はあまり居ない。……居ないよね?自分に言い聞かせるように希望的観測を抱きながらボクは続いて口を開こうとする彼女の言葉を待った。
「えっと…………高身長、高収入、高学歴」
ガツンと頭を殴られたような気がした。高身長。ボクは身長なんて高くない。下手するとさんよりも低い。高収入。ボクの収入なんてしれた所だ。超高校級の幸運なんて仕事の収入に何も関わってくれちゃいない。高学歴。いやこれもう無理。ボクは平凡な学校にしか通ってこなかった。これを高学歴なんて詐称しようものなら誰かに鼻で笑われるのがオチだ。
「所謂三高ね」
「三高?」
「高身長、高収入、高学歴。バブル全盛期に女性の主流層が相手の男性に求めた条件よ」
「フンっ、結局はも俗世的な女だったってことね……」
「いやそうじゃないけど…………そうなのかな?」
霧切さんが三高について解説していたようだけど、ボクの頭には全く入ってこなかった。聞いたってどうせボクには果たし得ない条件だったから。
壁に手をつこうとして滑る。手汗が凄い。1度滑ったら、もう一度手をつこうとしても滑るような気がして心が休まらない。動悸が早くなる。そんなボクに朝日奈さんはトドメを刺した。
「あ! 十神なら三高全部満たしてないかな!」
今日最大級の打撃がボクを襲った。十神クン。十神クンかぁ……とボクはそのまま床にへたり込む。勝てない。絶対勝てないって。確かに三高の全てを満たしている。年上、なのかはよく分からないけど、好みのタイプがここまで一致していれば勝てないだろう。惨敗だ。
朝日奈さんの言葉に腐川さんが激昂する。「あ、アンタ、白夜様は渡さないわよ!」「いや十神くんはどうでもいいんだけど」「キーッ! どうでもいいですって!?」そんな喧騒をボクは気にしない。聞こえもしない。ふらりふらりと食堂から離れていく。あれ、なんでボクは食堂に来たのだっけ。もう何も分からないなぁ。だから、霧切さんがドアの方を見つめていたのも分からないまま。
「……素直じゃないわね」
やれやれとでも言いたげな声で響子ちゃんが口を開いた。激昂している冬子ちゃんは勿論のこと、彼女を何とか抑えようとしている葵ちゃんにも聞こえなかったようだ。響子ちゃんもみんなに聞いて欲しいっていうような感じで口を開いたわけじゃなさそうだから別にいいのかもしれないけれど。
「何が?」
「彼、居たわよ。薄々気がついていたんじゃないの」
そう言って響子ちゃんは涼しい顔で珈琲を飲んだ。対して私は何だか心の奥を見透かされたようで(見透かされたのだけど!)、慌てて自分も珈琲を呷った。
「な、なんの事か分からないけど」
「高身長、高収入、高学歴ね。ちょっと考えればそれが貴方の好みのタイプじゃないなんてすぐ分かることなのに」
響子ちゃんはカップを置く。くすり、と挑発的な笑みを此方に向けたのだ。
「わざわざ真反対のことを言ってしまうなんて、本当に素直じゃないんだから」
カップを落としかけてなんとかソーサーの上に戻す。わたわたと慌ててしまう。顔の紅潮を抑えきれない。響子ちゃんはそれから何も言わなかった。確かにもう言葉は要らないだろう。だってこの赤面した顔と唐突に慌てた私の反応が完璧な答え合わせだったのだから。