月光しか照らすものが無い島の暗闇の中、私の上がった息の音だけが響く。ゼェハァと足りない酸素をなんとか体に入れようとするも、更に足を無理矢理動かしているせいで酸素不足が解消されることは無い。肺が痛い。足が痛い。だけど逃げなくちゃ。回らない頭で考える。なんでこんなことになっちゃったんだろう。ここまで逃げてきたら大丈夫かもしれない。痛む全身を休ませる為にしばらく止まる。悲鳴を上げ続けている私の体にある声が響く。
「あはは。追いかけっこなんて何時ぶりだろうね」
 なんで。あんなに逃げたのに。あんなに走ったのに!
 彼の、狛枝くんの声はそう遠くないところから聞こえていた。だめじゃないかそんなに体を酷使したら。気遣うように聞こえてくるその声はとても優しいのに、とても恐ろしくて堪らない。たまらず回復していない体にに鞭打ち走り出す。足音が響いてしまうが関係ない。狛枝くんが笑う。「疲れてるだろうに」うるさいうるさいうるさい! 誰のせいで、と叫びたくなるのを抑える。まずは逃げなくては。
 どうしてこんなことになっちゃったんだろう。走りながらまた考える。何もしてない。私は何もしてない。ただ何かの紙を破り割いた狛枝くんにどうかしたの?と聞いただけだ。それに狛枝くんは諦観を含めたように笑うだけだった。本当にそれだけだ。なのに、次の瞬間視界が暗転して気付けば狛枝くんに捕まっていた。訳が分からない。なんとか隙をみて逃げ出して見たものの今に至るのだ。酸素が少なくて頭がガンガンする。何処かに逃げ込まなくては。そういえば、今島には苗木くんが居た筈だ。きっと彼なら何も聞かないで助けてくれるに違いない。もう限界の足を引き摺りながら目的地を決めた私は死ぬ物狂いで走った。
「苗木くん! 苗木くん! 助けて!」
 目的地に着いた私は息の切れた声で叫ぶ。直ぐにドアが開き、私の尋常ではない雰囲気に驚いたかのような表情をして苗木くんは現れた。
「どうしたのさん」
「狛枝くんが、狛枝くんが、私、追いかけられて」
 言葉を発したいのに口が言うことを聞かない。狼狽する私に苗木くんは大丈夫だよと微笑む。その笑顔に少し落ち着く。苗木くんは少し奥に引っ込んだかと思うとお茶を用意し始めた。暖まって落ち着くよと差し出されたそれを飲む。ずっと走り続けていた体は冷えてなどいなかったが、それでも彼の差し出してくれたお茶の温かさが体に染みた。体が重い。走り続けていたし疲れているのかもしれない。
「それにしても災難だったね、狛枝クンに捕まっちゃったなんて」
 苗木くんがこちらにお疲れ様と微笑む。だが私はその笑顔が、なんだか、恐ろしく思えて、手の中の湯呑みをごとりと床に落とした。目を丸くする苗木くんが私を、見る。
「私、狛枝くんに、捕まったなんて、一言も」
 言ってない。そう言おうとした直後にぐらりと視界が揺れる。あれ、あれ、おかしいな。床にぶつかる前に苗木くんが支えてくれたから痛くはない。支えてくれる彼の手から体温が伝わってくるのに、私の体の震えが止まらない。体がすごく重たい。顔を動かそうとしても言うことを聞かなくて、視線だけを苗木くんの顔に向けようとする。彼の表情は正しく無だった。先程までの微笑みは去り、冷たい目線を私に向けている。どうしてそんな目をしているの。聞きたいのにすごく眠くて口が開かない。瞼が重い。少しずつ視界が閉じていく私の耳に狛枝くんの声が響いた。
「苗木クンったらもう少し丁寧に扱ってあげなよ。キミのミスで気付かれちゃったんだからさ」
「ごめん、そうでもしないとさん逃げちゃうと思って。薬を飲ませた後だから油断しちゃったよ」
 あはははは。2人の哄笑。
 分からない。どうして狛枝くんがここに居るのか。どうして。苗木くんが冷たい目をしたのか。分からない。苗木くんが笑う。キミが悪いんだよ。狛枝くんが笑う。キミがあんなもの受け取らなかったら良かったのにね。あんなもの。あんなものとはなんだろう。もう何も分からないや。なんだかすごく眠い。そうして私は意識を手放したのだ。