さんがクロに決まりました!」
 無慈悲なモノクマの声がフロアに響く。終わった。××くんが殺され、そのクロを巡る裁判はもう終わったのだ。さんというただ1人の犠牲者を残して。
さんっ……」
 ボクは自分の席から離れてさんに走りよろうとする。見ればさんの手足はガクガクとふるえ、唇を噛み締め、顔は真っ青になり、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
「来ないで!」
 ピシャリと拒絶の声が響く。さんだった。思わず足を止める。手を震えさせながら、さんは恐怖に負けじと顔を上げた。その顔が歪んでなんとか笑顔の表情を形作る。
「あーあ、バレちゃったか。みんな流石だね」
 悲痛な笑顔から出てきた言葉は、まるでさも余裕があるような調子で語られる。口角を無理に上げたその口からふてぶてしい台詞が出てくるものだから、その不釣り合いさが不気味さを生み出している。まるで余裕ですとでも言いたげなその言葉に一同はどう思っただろうか。巫山戯ているとでも思っただろうか。しかし、違う。その言葉が必死に震えを隠そうとして、無理矢理捻り出した強がりだということをボクは知っている。
 さんが犯人だったのをボクは最初から知っている。

 事の始まりは、ボクの不注意だったのだ。 
 もうコロシアイなんて起こさせない、起きないと考えていたボクは、突然やってきた来客の殺意に気づくことが出来なかった。
 幸運にも最初の一撃を避けることが出来たが、反撃もできる訳もなく、ただ何も出来やしなかったボクはなんとか殺されないようにと、防衛に徹するしか無かった。しかしボクも体力が尽き、もう殺されるだけだろうと思ったその時に、偶然ボクを呼びに来たさんが居たのだ。事の顛末を一瞬で把握したさんはボクを助けようと必死になってくれた。その次の瞬間だった。さんはなんとかボクから押しのける事に成功したが、それでバランスを崩したそいつが当たり所悪く死んでしまったのは。
さん!」
 突然の出来事にボクは彼女の名前を呼ぶしか出来なかった。事態を把握した彼女は顔が真っ青になり、今にも恐慌状態に陥りかけていた。
「わ、私、私、違うの、ちが、こんなつもりじゃ」
「わかってる!ボクがわかってるよ、事故だったんだよ!」
「じこ、事故なら良かった、でも、私が、私が、殺しちゃった、殺しちゃったんだよ!」
「事故だよ!これは事故なんだよ!」
 今にも咽び泣きそうな彼女の肩を支える。これは事故だ。事故に決まってる。だって、ボクを助けようとした彼女がこんなことのせいで人殺しの罪を背負うなんて間違ってるじゃないか。
「事故……」
「そうだよ、ボクを助けようとしただけじゃないか……殺意なんて無かっただろ……それなのにクロになるなんておかしいだろ……」
「そうかな……そうなのかな……」
 肩を震わせ彼女は泣き出す。瞼から落ちていく涙はとても透き通っていて。到底、人殺しの流す涙では無かった。
「ちゃんとみんなに話そう……分かってくれるよきっと……」
「うん……」
 そんなときだった。帰ってこないさんを心配したのか、××さんがボクの部屋にやってきたのだ。そして死体発見アナウンスが流れた。
 一定時間の後学級裁判を開くというアナウンスの後、モノクマファイルが渡される。さんは震える手でモノクマファイルを確認し、そしてまるでもう立っていられないとでも言いげに壁に寄りかかった。
「どうしたの?」

 急いで近寄れば胡乱な目をしたさんがモノクマファイルの一文を指す。
 『被害者は苗木の部屋で殺されていた』
 なんてことは無い、いつもと同じような一文に見える。さんがもう一度指を指す。殺されていた。被害者は殺されていた。そう、列記とした他殺であるとそこには記されていたのだ。モノクマは事故として扱わなかった証明だった。
「こんなのって!」
「苗木くん」
 声を張り上げたボクをさんの言葉が制した。酷く疲れたような声だった。
「私、学級裁判でウソをつくから」
「だから、苗木くんが暴いて」
「暴いて私がクロだと指名して」
 何を、言っているんだ。
 困惑するボクを他所に、疲れ果てた表情の彼女は語る。
「これが不慮の事故ってきっとみんな分かってくれると思う。でもそれじゃダメ。みんなに迷いなく投票して欲しい。みんなに、悩んで欲しくないの」
 お願い。と祈るような声でせがまれる。ボクは何も言えなくなって、嫌だと言いたい心をなんとかして飲み込む。何度も何度もせりあがってくる想いを見ないふりをして、ボクは分かったとゆっくり頷くしか無かったのだ。
 裁判での彼女は震えていたのが嘘のように巧みに嘘を吐いた。でも嘘である以上、必ずどこかで矛盾が生まれる。ボクはそれを一つ一つ指摘していく。指摘する度、彼女の命綱を少しづつ切っていくような感覚にボクは襲われた。
そうして、さんというクロが完成したのだ。
「出たかったの、こんな学園」
 頭がおかしくなりそうだったんだもの。私の才能なら奇跡的にバレないかなって。
 彼女は真っ青な顔で笑う。やめろよ。
 でも、ダメだったなー。そうそう上手くなんて行かなかったみたい。アハハ。
 彼女は笑みを深めた。やめろよ。
 モノクマ、そろそろでしょ。オシオキ。さっさと終わらせようよこんな茶番。
「やめろよ!」
 さんがビクリとする。耐えきれなかった。ボクはもう嘘なんて吐けなかった。吐きたくなんてなかった。
「苗木く」
「もうやめてよ、見てられないよ」
「なん、で」
「事故だったじゃないか、ボクを助けようとしてくれただけじゃないか!」
「やめて!」
 聞きたくないとでも言うかのように彼女は耳を塞いでしゃがみ込んだ。やめてよ、言わないでよとうわ言のように繰り返す。限界を迎えていた彼女の目からは大粒の涙が零れていた。こんな綺麗な涙を流せる人がクロな訳、無いじゃないか。
 立ち止まっていた足を進める。1歩1歩彼女に近づいていく。あと少し、もう少しで彼女に、「超高校級の奇跡のさんの為に、スペシャルなオシオキを用意しました!」彼女に触れる1歩前。重い音が響いた。
重い音の正体は彼女の首元で。鈍色の首輪が憎々しげに光っていたのだ。
 項垂れていた彼女がしばらくの後、口を開いた。
「苗木くんのばーか、ばーか、何言ってるのか分かんないや」
 彼女が顔をあげる。
「苗木くんを助けた? なんの事? 私は私のために殺しただけだよ」
  その目から大粒の涙を流しながら。
「でもさ、そんなお人好しの苗木くんに一言残してあげるよ」
 その顔を真っ青にしながら笑う。
 「苗木くん、私の分まで幸せになってね」
 それが彼女の最期の言葉だった。

 結局、奇跡など起きることなどなく、彼女はクロとしてオシオキされ死んだ。
 ついさっきまで彼女といたはずの部屋に一人。ベッドに横になれば、耐えきれず目から熱い何かが零れ、顔を濡らした。拭っても拭っても止まるどころか勢いを増していくだけだった。
 仕方なく目を閉じれば、瞼の裏で鮮明に浮かび上がるものがあった。
 真っ青な顔で幸せになってねと笑う彼女。ばーかばーかと罵る彼女。今日見た彼女の姿と彼女の言葉がまぶたの裏と頭の中でずっとリフレインする。
 バカだな、本当にバカなのはどっちだよ。
 キミが居なかったら、幸せなんてどこにもないよ。