「好きです」って言えたらよかった
俺には好きな人がいる。
その相手は俺のクラスメイトで、俺の席から見て少し離れた斜め前に座っている女の子。話したことが多いのかと聞かれればあんまり無い。むしろ彼女からは話すことの無いただのクラスメイトとしか思われているかもしれない。要するに彼女との関係性を言葉にするのなら、友人どころか殆ど他人だと思われていると言っても過言ではないだろう。
そんな接点もない彼女を俺が好きになったのは、なんとまあよくあるような話で。
俺は、クラスの中にあまり打ち解けていないような男だ。壁際にひっそりと息を潜めているような、居ても居なくても認識されないようなそんな奴。数年後に今のクラスメイトたちに俺の名前を言ってみたとしても、「確かにいたかもね、そういう奴」と記憶の片隅に留めてもらわれているかどうか、くらいの認知度だろう。影の薄さには悲しいことに自信があった。
居ても居なくても変わらないような人間は、学校のような集団生活の中では実に生きにくい。
俺の一番嫌いな言葉が、授業中の先生がお気楽に言う「はーい、二人組作ってー」という言葉であると言えば理解してもらえるだろうか。先生にそう言われた時、俺という人間は溢れるのが世の常なのだ。そして悲しいことに、溢れるのは二人組を作る時だけでは無い。授業中、適当に組まれた班での活動でも俺は除け者にされがちなのだ。班の皆で取り組む活動は、仲が良い者が集まれば楽しくできるだろう。話し合い、意見を引き出しては、皆でゴールまで頑張ろうと一致団結できる。しかし、俺のようにクラスに溶け込めていない男はそんな活動でさえも皆の輪から外れがちになる。
皆が俺を除け者にしているわけじゃない。俺の、皆の輪に溶け込む努力がとんでもなく下手なのだ。それがわかっているからこそ、班での活動の中で俺が一人だけ溢れることは、とても惨めで悲しかった。
だけど、席替えをする前。まだ彼女と席が近かった数ヶ月前。「君の意見も聞いてみたいな」と、何気無く話しかけてくれた彼女が救いのように見えた。
その時の俺は、まさか誰かが自分の意見を聞いてくれるなんて思いもよらなくて、しどろもどろな返答しか出来なかった。同じ班にいた他の女子が眉をしかめて「聞いてもムダじゃん?」と彼女を窘めているのがすぐわかった。
実際、口が回らなかった俺は彼女の質問に全く答えられてはいなかったし、なんなら口ごもって黙ってしまった覚えがある。俺はいつもそうで、俺に意見を聞いてくれた人は今まで何人か居たけれど、結局何も言えない俺にみんな愛想を尽かして誰も聞いてくれなくなった。それを知っているからこそ班の女子は聞いてもムダだと判じていたのだ。
せっかく聞いてくれたのに、喋ろうとすれば吃音しか出てこない自分の喉が情けなくて情けなくて、結局黙り込んでしまう。班の女子がそれ見た事かと俺からつまらなそうに視線を逸らしたのがわかって尚更惨めさが加速する。俺に意見を聞いてくれた彼女が困ったように眉を下げた。申し訳なさで俺の胸はいっぱいだった。
「大丈夫だよ」
優しく掛けられた声に俺は驚いて顔を上げる。俺に声を掛けた彼女は口元に柔らかい笑みをたたえて、俺に話しかけてくれていた。
「言えるようになったら、いつでも聞くからね」
そう俺に面と向かって話しかけてくれた子は家族以外では初めてで。俺はアッサリと彼女への恋に落ちたのだ。
その後、結局先生が設定していた話し合いの時間までに俺は意見を出すことが出来なかった。呆れたような目線を班の女子は投げかけていたけれど、彼女は最後まで俺をそんな目で見なかった。それが俺は嬉しくて、でもその感謝も何も伝えることは出来ないまま、席替えで彼女の席とは離れてしまった。それ以降班で一緒になることはなく、結局自分の意見が言えない性分は治らないまま、初めて感じた、あの彼女への好意だけは残っている。
好きだけど、彼女にアプローチする勇気もない。ただ遠目に見ているだけだ。しかしそれが口下手な俺にとっては十分だ。そう思い込んで俺は彼女を遠巻きに見るだけに留めている。
勿論アプローチをしないから、彼女と距離が近づくことも無い。恋している身としてそれは悲しい。だけど、俺にはそれで丁度いい。
だが、遠巻きに見ているだけの俺でも許し難いことがある。それは嫉妬であった。
ふと遠目に見ていた彼女の姿がある時遮られる。理由は明白。俺の視線と彼女の間に一人の男が割り込んできたからだ。
俺の視線を遮った人物の名前は間薙シン。あまり話したことがないクラスメイトだ。殆ど接点は無いと言ってもいいだろう。勿論の事ではあるが間薙と俺は親しくはない。だが、俺は奴のことを少し知っている。
間薙シンという男は、学年一の才女こと橘千晶と、俺の好きなあの子の幼馴染なのだ。
間薙本人はクラスではあまり目立たない男だけど、その割に顔立ちは整っている。まつ毛なんて長いし、普段平然としている様は男の俺でも認めるほど綺麗な顔をしていると思う。
寡黙で冷静な男だと思っているが、ノリが悪い訳でもないらしくて、クラスのお調子者である新田勇と仲良さそうにしている所も見掛ける。正真正銘コミュ障の俺からすれば、同じ無口でも天と地の差だ。
そんなただでさえ勝ち組のお前が、あの人気の橘さんの幼馴染ということにも飽き足らず、彼女の幼馴染でもあるなんて。なんて羨ましい、けしからん奴だ。
顔だって良い、ノリも良い。幼馴染も美女揃い。そんな揃っているのなら、一つくらい俺にくれたっていいじゃないか。そう、彼女を。
間薙も橘さんも美男美女。それなら幼馴染のお前ら二人でくっついてしまえばいいのに、なんで彼女に近づくんだ。それなら彼女くらい俺にくれよ。そんな嫉妬の思いが胸の中で強く暴れる。
だけど俺の視界の先の間薙は気にも留めず──俺の存在すら気付いて居ないのかもしれない──優しい笑みを彼女に向けていた。俺には見えないけれど、きっと彼女も同じような笑みを間薙に返しているんだろう。
そう思った途端心の中が黒く塗りつぶされる。ちくしょう、ちくしょう! 俺だってそんな風に彼女と喋りたいんだよ。なんでお前ばっかり美味しい位置に居るんだ。俺だって、お前みたいになりたいんだよ、間薙。だってこんなの、悔しいじゃないか。
お前は幼馴染で、俺はただのクラスメイトで。そもそもの前提が違うんだ。幼馴染なんてアドバンテージ、高校からのクラスメイトの俺には勝てる訳もない。そんなのズルいだろ。クソクソクソ!
……でも、本当は分かってる。間薙がああやってあの子の横に居れるのも、俺があの子とこれ以上仲良くなれないのも。その理由は幼馴染だから、なんてそんな理由じゃないってことを。
本当は、間薙は、あの子の横に居る為に努力をして、幼馴染であることを引いても、傍に居るのが不思議に思われないくらいあの子の隣に溶け込んでる。間薙がコツコツと長くやってきたそれを俺は言い訳ばかりしてやらなかっただけだ。
だって、俺に何が出来たんだろう。口下手で、人付き合いが苦手な俺に彼女の横に居れるような行動ができるはずも無いんだ。俺に出来ることはこうやって遠くから見ることくらいで。でもこうやって言い訳しかしないから、結局何も変わらない。間薙とあの子が仲良く喋ってる姿を見せ付けられて、こうやって悪態をつくしか出来ないんだ。
俺だって、あの子と仲良くなりたかった。努力だってしたかった。でも、その勇気が俺には無かっただけなんだよ。俺にその勇気さえあったなら、あの子の隣とは行かなくても、近くには居れたかもしれないのに。今の俺には惨めな嫉妬心しか無い。
視界の先で間薙が笑っている。きっとあの子も。
ああ、クソ。惨めでしかないよ、間薙。俺はお前になりたかった。お前みたいにあの子と一緒に笑って話して見たかっただけなんだよ。せめてそれだけでも良かったのに。なんで俺はお前になれないんだ。なんで俺はこんな奴なんだ。なんでなんだ。