おれ一人だけのあなたでいて下さい。

 高校を卒業した後、私とシンは一緒の大学へ進学した。
 シンが私と同じ大学に合格したと聞いた時は、進路の話をしていた時にシンが私と同じ大学に進みたいと言ってくれた時と同じくらい喜んだし、嬉しかった。「一緒に居たい」とそう言ってくれたシンとまた大学でも一緒に居れる──高校を卒業した私はそれにしか思考が回らなかった。
 でも、現実をすぐに突きつけられる。同じ大学に進学したといえど、私たちの学科は別々だった。学科が別だと、受ける講義も違ってくる。一つも被ってない、なんてことはなかったけれど、被っている講義に限って学科ごとに指定された席だったり、その次の講義が別々の講義でその準備と移動に追われたりして、高校時代よりも一緒に居る時間はめっきりと減ってしまった。それを寂しいと思ってはいたけれど、この入学したてで大慌ての大学生活に加えて、大学入学と同時に働き始めたバイトも忙しくて、寂しいなんて思っている暇さえ無くなっていった。そして気が付けば、私たちの交流はぱたりと止んでしまっていた。
 それでも、時間がある時はやっぱり寂しいなって思う時もあるわけで。

 昼休みに携帯を覗き込むけれど、シンからの連絡はやっぱりなかった。最後に連絡を取ったのは何時だったっけ……。履歴を見返そうとして止める。実際の日付を見てしまうと、更に寂しさが加速してしまいそうな気がして。知らず知らずのうちに下唇を噛み締めていた。
 一緒に居たいって、あの時シンはそう言ってくれた。でも、実際はそうはならなくて。それが仕方がないことだって理解はするけれど、私の心は納得したくないって泣き喚いていた。寂しい。まるでぽっかりと心に穴が空いてしまったみたい。忙しさのあまり見ないようにしていたその心の穴は、一度気付いてしまうとそれにばっかり囚われてしまう。
 シンは、どうして一緒に居たいって言ってくれたんだろう。結局、あれ以降シンは何も言ってくれなかった。元々口数が多い方ではなかったけど、今ばっかりはあの時の真意を言ってほしいと思った。
 ……本当は、シンの想いと私の想いは別々のものだったのかもしれない。私はてっきり、シンが私のことを好いてくれていたのかもしれないって、だから一緒の道を選んでくれたのかなって、そう思っていたけれど、本当は私がシンの想いを都合の良いように解釈していただけだったとしたら? 嫌だな、考えたくない。でもそれをシン本人に聞ける勇気もない。自分からメッセージを送ろうとした指先が震えている。目的地が定まらない指は何も文字を打つことなく力が抜けていく。結局、今日もシンからも私からも互いに連絡を送ることはないまま一日が終わってしまった。

「サークルの新入生歓迎会?」
「そう! 先輩に新しい子連れていきますって言っちゃったの~! おねがーい、今日だけ顔出してくれるだけでもいいから!」
 それは、その日の講義がすべて終わった後。同じ学科のそこそこに仲良くなった子から言われたことだった。どうやらまだどこのサークルにも所属していない人に頼みこんでいるらしく、まだ無所属の私にも白羽の矢が立ったようだった。
 正直、興味もないサークルの歓迎会なんて行く気が起きない。新入生の分は先輩たちが奢ってくれるから、タダでご飯を食べに行けるというプラスの誘い文句があったとしても、興味もないサークルのノリの中で感じるだろう居心地の悪さのことを考えれば、トータルはマイナスの方が多いだろう。
「ごめんね、私はちょっと……」
「あー、だめかあ。もう断られるの何人目だろ……」
 大げさなほどに肩を落としたその子。きっと私と同じような感じで断られてきたのだろうか。「私の知ってる中でまだサークル入ってない子、何人いたかな……」とどんよりとした声で呟いている。
 私たちの大学はサークル活動が盛んなようで、知り合いの大半は既にサークルへ所属か仮入部をしていた。私のようにまだ無所属の方が珍しい方だ。ほかに無所属の子を探して頼みこむのは難しいだろうなとそう思った時、ふとシンのことを思い出した。シンはどこかのサークルに入ったという話だけは風のうわさで知っていた。でも、どこのサークルかまでは知らない。そんなことすら知らないほどには私は彼と連絡を取らなくなってしまった。既にサークルに入ったのなら、彼はそこで何かしらの居場所を得ているのだろうか。そう思うと胸が少し締め付けられるような気持ちになる。彼が居るところに私が居ないということがこんなに苦しい気持ちになるなんて思ってもいなかった。
 結局私は今のシンについて何も知らないのだという現実が肩に乗せかかってきて気分が落ち込んでしまう。リュックサックに教科書を仕舞っていた手が億劫になってうまく動かせなかった。……なんだか、嫌だ。私、大学に入って、サークルにも入らずシンとも疎遠になってまで、ただ無為に過ごして何をやってるんだろう。そのうち大学内での居場所もなくなっていくんじゃないかと思うと怖くなってくる。
「……やっぱりいいよ。歓迎会、行こうかな」
「え! いいの、本当に! 今日バイトとかだったら無理しなくても良いんだよ?」
「ううん、平気。今日はバイト休みだから。講義終わったらあとは帰るだけだし、せっかくならサークルの空気感とか知っておいた方が良いかなって」
 そう言うと一気に元気を取り戻したらしい彼女が何度も何度も私に頭を下げるものだから、思わずびっくりしてしまう。そこまで感謝されるとは思ってなくてなんだか少し気恥しい。本当はただの人数合わせのようなものだけど、重い腰を上げた甲斐があったかなと少し思えた。そのまま、シンを気にかけることを忘れてしまえるくらい、楽しめれば良いかもしれないなんて思った。
 けれど、私のその淡い期待はすぐに破られることになる。

 その日の夜。友達に告げた通り、私はサークルの歓迎会に参加していた。自分以外のみんなは楽しそうにはしゃいでいるけど、やはりというかなんというか、人数合わせのように付いてきたサークルの歓迎会は自分にとっては少し居心地が悪い。
 時折隣の席の先輩が話しかけてくれるけれど、最初は当り障りのない話だったのに、いつの間にか「彼氏はいるの?」だとか「連絡先を交換しないか」みたいなことばかり言われるようになってさすがに辟易してしまった。助けが欲しくて私を誘った友達を探せば、彼女は既に会話の輪に入っていて、私のことは眼中にないようだった。これじゃあ来ない方が良かったかな……なんて、後悔するももうすでに遅くて。ドリンクや食べ物が届くまでの時間を少しでも潰そうとお手洗いに逃げ込む。それほど時間が稼げるわけではないだろうけど、居心地が悪い空間で過ごすよりもマシだと思った。
 私がお手洗いへ向かう時、お店の入店音が鳴った。どうやら大学生の団体のようで、私たちと似たような感じみたいだ。このお店はサークルの飲み会などでよく使われているのかな、なんてぼんやりと思った。
 少しだけ時間を潰してお手洗いから帰ってくると、もうドリンクが届いていた。他のみんなは飲み始めていて、私の席にはオレンジ色の液体が入ったコップがコースターの上に置かれている。席に戻った私はそれを飲もうとして、口に含んだ瞬間違和感を感じた。口に含んだそれは嚥下するしかなかったけど、これ以上飲まないようにコップをテーブルに置く。
「これ、味が……」
「なになに? どしたの?」隣の席の先輩が私を見ていた。
「えっと、私が頼んだドリンクじゃないと思って……。他の人のと間違えられちゃったのかな」
 しかもこれ、たぶんだけどお酒だ。そう続けようとするも先輩が私の言葉を遮る。
「そうかなあ? 俺のドリンクは頼んだヤツが届いてるし。まあ、いいじゃん? 飲んじゃえば?」
「でも、これたぶんお酒じゃあ……。私、未成年ですし……」
「はあ、何? 飲めないの? あのねえ、ここってさ、俺たち年上が君たち年下に奢るんだけど。奢ってもらっといて飲まないわけ? それにプランも飲み放題じゃないし、金もったいなくない? な? ちょっとは俺たちに申し訳ないって思うならさあ、飲みなよ」
 そう話す先輩の眼が鋭くなる。私の顔とドリンクを交互に見てはこれ見よがしに大きい溜息を吐いて嗾けている。
 圧だ。圧をかけられている。思わず血の気が引いた。もちろん、私は未成年だからお酒なんて飲めない。でも目の前の人は飲めと圧をかけてきている。舐めるような視線がこちらを見ていて、私が再度コップに口をつけるまで視線を逸らす気は無いようだ。
 思わず途方に暮れそうになったが直ぐに閃く。そうだ、口に含んだらすぐお手洗いに駆け込んで吐いてしまおう。もし少しくらい飲んでしまってもすぐに酔うことはないだろう。そう思ってコップを口へ運ぶ。コップの中身を一気に口に含めば、見ていた先輩が口許をゆがめて笑う。
「お~。良い飲みっぷり。……吐いたりとかしないよねえ?」
 にこやかに笑っているけれど、その笑みには圧しか感じられない。きっと彼からすれば私の策などお見通しだったのだろう。私が逃げ出さないように鋭い目はそのままに私を見ていた。急いで立ち上がろうとしたけど、咄嗟に腕を掴まれた。見定めるような視線と掴まれた腕が痛くて、私は結局席から立ち上がることができなかった。
 口に含んだお酒をずっとそのままにしておくことは流石に出来ない。……一杯だけなら、大丈夫かも知れない。そう観念して私はそれを飲んだ。勢いよく口に含んだそれを飲むと少し咽る。ゲホゲホと背中を丸め口を覆う私を先輩が「おお、よしよし」と背中を撫でた。ぞわり、と鳥肌が立つ。足が震えている。周りのみんなは何も気が付かない。
 それからしばらくして。ケラケラと談笑しているみんなの声が遠くのように聞こえ始めた。頭がふわふわ、する。たぶん、原因はさっきのお酒だ。一杯くらいなら酔わないだろうと思っての策だったけれど、思っていた以上に私はお酒に弱かったらしい。早く水を飲まないと……。そう思って水が取りたくて手を動かしたのに、感覚が何か、変。コップの位置が視界の中で揺れては自分の手との距離が掴めない。指の先まで力が入らなくて、ようやく触れたコップを持とうとした瞬間、突如隣から伸ばされた手に簡単に取られて行ってしまう。
「もしかして、限界?」
 視線をその手の持ち主へ向ければ、サークルの先輩がニヤニヤとした顔でこちらを見ていた。彼の言う通り、私はもう限界で、だからお水を飲みたかったのに、何故私の手から奪っていくのだろう?
「あの、おみず、かえして……」
「キミ、お酒弱いんだね。まあコップを入れ替えたのは俺なんだけどさ。そこまで弱いなんて予想外だったよ」
 目の前の彼が言っている意味が分からない。コップの入れ替え? 何が目的で? 上手く回らない頭じゃ、何も分からない。眩暈もする。思わず先輩から目線を逸らせば、彼のコップを持っていた手が、コップをテーブルに置いたと思うと私の肩へと伸びた。
「体調悪そうだね、ここらで抜け出しとく?」
 大きく周りに聞こえるような声でそう言った。お酒を飲ませた張本人が何を──と反論したかったけど、声を上げるよりも前に周りの囃し立てるような歓声がそれを掻き消す。「手が早いなあ」と呆れつつも賛辞する声が聞こえる。誰も目の前の彼を止めはしない。──やられた。ここのサークルはいわゆる飲みサーだったんだ。ああもう、同級生の誘いに乗るんじゃなかった。そうだと知っていたら来なかったのに。
 先輩の手が私の肩から下がって腰へ回そうと伸ばしている。お酒に浮かされている頭でも分かる。この人は表向きは介抱という体で連れて帰ろうとしている。身を捩って逃げ出そうとするけど、力の入らない私の抵抗をいなすなんて、相手にとっては赤子の手をひねるように簡単だろう。すぐに距離を詰められる。手が腰に触れる。先輩の笑う声が耳のすぐ近くに聞こえる。嫌、怖い、やめて、助けて、シン。
「お取込み中のところ悪いけど」腰に感じていた手の感触がパッと離れた。
「俺、そいつと幼馴染なんで連れて帰りますよ」
 落ち着いた声色とは裏腹に強い力が私の体を先輩から引き離す。勢いのままに後ろへと倒れ掛ける私を誰かが受け止める。ううん、誰か、じゃない。私はこの声の主をよく知っている。
「ハ、ハハハ。へえ、そう? じゃ、じゃあ、頼もうかな」
 引き攣ったような声がそう答えた。それを聞いた声の主が私を立たせる。ふらつく足が私の体のバランスを崩そうとするも、力強い腕が私を抱えた。強い力に反して私を支える手は優しい。そしてそのまま私の手を引いて店から出ていく。私の手を引く彼──シンに、連れられて行く最中、お金払ってないなあと一瞬思ったけれど、新入生は奢りだって言っていたから大丈夫かなあ。きっとこのサークルには二度と来ないけれど。

 手を引かれて歩き続けて暫く。春とはいえ外の夜風は少し冷たくて、アルコールで火照った体表を冷ましていくと同時に私の中のお酒を抜けさせていく。ほわほわとしていた頭が少しずつ覚めて行って、ようやくサークルの飲み会から連れ出したのがシンだったのだと改めて再認識させられる。
 少しずつ回るようになった頭で考える。何故、シンがあのお店にいたのか。考えられることとすれば、私がお手洗いに行っていた時、お店に入ってきていたのはシンが所属していたサークルだったのかもしれない。おそらく同じお店でシンのサークルも歓迎会を始めていたのかも。……だけどなんで、シンは助けてくれたんだろう。まだほんのりとふわふわが残っている。さっきよりマシになったとはいえ、頭はまだ完全には回ってないみたいだ。
 私はシンに連れられて歩いていた足を止める。突然止まった私に対して、私の手を掴んで歩いていたシンによって私の手がピンと伸びる。しかし、止まったことに気がついたシンが直ぐに止まったことによって私の手が痛む程伸ばされることは無かった。
「……」
 止まった私にシンが黙って振り返った。その顔を見て息が止まる。彼のその表情はまさしく無だった。……いや、無ではない気がする。きっと彼は無表情の下に怒りを秘めている。何かに対する怒りを必死に出すまいとして無表情になっている。そんな気がした。
「……ねえ、シン。怒って……る?」
「怒ってる」
 間髪入れずに肯定が返ってきた。私に怒りを抱いていることを指摘されたシンは、もう隠す必要は無いと言わんばかりに不機嫌さを表情に出した。むすっとした顔が私と向き合う。
「まさか怒ってないとでも思ってる?」
 私は首を大きく横に振った。勿論怒っていることは理解している。ただ、何故怒っているのかが申し訳ないことに、まだ理解出来ていないのだ。
「怒ってるのは分かる、けど。……でも、どうして怒ってるのかはまだ分かんない」
「なんだよ、それ」
 今度こそシンはあからさまに顔を歪めた。「巫山戯てんの」私の手を掴んでいたシンの手に力が篭もる。少し痛い。
 私はまた首を横に振る。そんな訳ない。怒ってる彼を前にして巫山戯る気なんて毛頭ない。でも本当に何故彼が怒っているのか、理解がまだ追いついて居ないのだ。
 だって、今日やっていたことといえば、講義を受けて、サークルに行って、その後サークルの歓迎会に参加したくらいだ。その中でシンが把握した事と言ったら、偶然同じ店で歓迎会をしていたということくらいしか無いだろう。さっきの騒動がありはしたけど、そこまでシンが怒るようなことなのかな、と思う。
「私、何かしちゃった? シンが怒るようなこと、本当に思いつかなくて」
「それ、本気で言ってる?」
 彼の怒気で肌がピリつくようだった。勢いで思わず半泣きになってしまいそうになるくらい、そのくらいに怖かった。
「久しぶりに見かけたかと思ったら、アレだけ他の男にベタベタ触られてて。それを見た時の俺の気持ち、どんなだったと思う? 気が狂いそうだったよ。しかも挙句の果てには簡単に騙されてお酒飲まされてるし。俺が連れ出してなかったら、今頃喰われてたんじゃないの」
 そう捲し立てる彼に、私は開いた口が塞がらなかった。
 確かにシンが来なかったら、先輩に今頃連れ出されて考えたくもないようなことになっていただろう。コップが入れ替わっていたのも、最初は配膳ミスだと思っていたから、まさか騙されて飲まされていたなんて私はすぐには気付けなかった。だけどそれは、シンから見れば一目瞭然だったのかもしれない。そしてシンから見た私は先輩に誑かされたチョロい女にしか見えなかっただろう。そう気が付いた瞬間、自分の鈍感さが余りにも恥ずかしくて今すぐにでも穴を掘って埋まりたい気分だった。
「そんなお前を見るために、同じ大学に入ったんじゃないよ。俺は」
 苛立ちを吐き出すようなシンの言葉に、私は言葉に詰まってしまう。
 しかし、時間が経つにつれて冷静になってきた頭は段々この状況が嫌に感じ始めたのか少しムカムカとしてきた。いわゆる逆ギレかもしれない。そう思ったけれど、だけど突如胸の中に生まれたムカつきは留まることをしなかった。

 偶然一緒のお店で歓迎会をしていて、そこで私がチョロい女に見えたからってなんだっていうのか。それを何故シンに怒られなきゃいけないんだろう。そもそもな話、シンにとって私は何なのだろう。シンは結局、どうして同じ大学に進んだのかも言ってくれやしなかったのに。そう今まで何も! 何も、私には言ってくれなかったというのに!
「じゃあ、なんで、同じ大学に入ったの」
 思わず漏れ出た私の本音に、シンは面食らった様に大きく目を見開いた。
「お前、分かんないの」
 シンの、その分かって当たり前、分からない方がおかしいというような反応に、ついに私の中の何かが限界を迎えた気がした。
「分かるわけないよ! だってシン、何も言ってくれないんだから! 進路を教えてくれた時、私は嬉しかったよ! 一緒の大学選んでくれたんだって! シンにこれからも一緒に居たいって想ってもらえてるんだって、嬉しかった! でも結局、シン、あれから何も言ってくれなくて! 何も、言ってくれなかったから、本当はそんなつもりなかったのかなって、私の勘違いだったのかなって、そう考えなおして……。だって、バカみたいじゃん……。一人舞い上がって実は勘違いでした、なんてそんなの……。私一人で、バカみたいじゃん……」
 勢いよく始めたはずの語気は段々と尻すぼみになっていく。言っている最中に視界がボヤけ始めて、目頭がじんわりと熱くなっている。目尻から頬へと何かが伝う感触に、思わず泣いてしまったのだと気が付いた。
 対するシンは私がこうも感情的になったのに驚いたのか、呆気にとられた表情を浮かべていて。暫く驚いていたかと思うと、掴んだ手はそのままに反対の手で自分の頭をガシガシと掻いた。私から顔をそらして、時折、「あー」だとか「そういえばそうか」とか唸るような声が聞こえてくる。

 ──今、どういう状況なんだろう。私はボロボロに泣いていて、手は掴まれたまま。対するシンは私から顔をそらしている。変な場面だ。人の通りが少ない薄暗い夜でよかったと心のどこかでそう思った。
「ごめん」
「なに? ──きゃっ!」
 ただ一言、そう聞こえたと思えば掴まれていた手を強く引っ張られた。
 シンの力は強い。だから私の体は彼に引っ張られたら容易にバランスを崩してしまう。転んでしまう──! とそう思った時、また手を引っ張られて体は固い床ではなく、力強くて暖かい何かに包まれていた。
「ごめん。……伝えた気になってた。でもちゃんと言ったこと無かったな」
「な、何が? なんの話?」
 訳が分からないままそう問うと、体を包んでいた力がギュッと更に増した。そこで私は漸く気がついた。シンが私の体を抱きしめているという事実に。
「俺が、お前のことが好きだって話だよ」
 は、と口が息を吐き出した。
「なに、それ。なんの、話?」
 唐突のシンからの告白に私の声は上手く言葉を紡がなかった。口からは途切れ途切れの息だけが出て行く。
「もう一度言うぞ、分かんないなら何度だって言ってやる。俺はお前が好きだよ。他の男の所なんかに行って欲しくない。これからも俺と一緒にいて欲しい。この先もずっとお前の隣が俺であって欲しい。分かるか?」
「え、え……」
 理解が、追いつかなかった。シンは私の事が好きで? だから他の男性と一緒にいて欲しくない? 
 涙を流しすぎたのかズキズキと痛む頭は答を出すのにいつも以上に時間を掛ける。だけど自分がずっと欲しいと思っていた言葉を貰えたということだけは理解したのか、冷えていたはずの胸が忙しく音を鳴らして暖かく、いやどんどんと熱くなっていく。
「そんなのっ、し、知らないよ。言ってくれなきゃ分かんないじゃん、バカっ、シンのバカっ」
 力が入らず上手く握れない拳をシンの胸に叩きつける。それをシンは何も言わずにただ受け入れていた。だけど私を抱きしめる腕の力はぎゅうっと無言のまま力強くなっていくものだから、私はもうどうすればいいのか分からなくてそのままシンの胸の中でわんわん泣いた。これ以上涙なんて流したくないのに、先程とはまた別の涙を流し続けているのだから不思議だと思う。
「ごめん。俺が勝手に伝わってるんだろうなってそう思い込んでた。……そうだよな、言わなきゃ伝わらないのに」シンはそう言って私と視線を合わせる。シンの目は熱に浮かされて揺れていた。
「好きだ。……返事が聞きたい」
 もう涙で殆ど前が見えない。シンが私のことを好いてくれていたことが、他の男性に嫉妬するほど想っていてくれていたことが嬉しくて、私の勘違いなんかじゃなかったんだって安心で胸がいっぱいになる。苦しいくらいいっぱいなのに幸せ。
「私だって、シンが好きだよ、ずっと好き、シンが隣にいてくれないと、寂しいよ。一緒に居て、居てくれなきゃやだ、おねがい」
 シンが居なくなった心の穴を見ないように頑張って他で埋めようとしたけれどダメだった。シンじゃなきゃダメだった。私は間薙シンという男の子が居ないともうどうしようもない。彼が居ない日々なんて本当は耐えられないくらい、彼が私の中に居た。彼が傍に居てくれないと私が壊れてしまう。それが分かってしまったから、私も手を彼の背中に回した。シンに負けないくらいに腕に力を込める。
 そんな私の言葉と行動にシンは嬉しそうに私の首元に顔をうずめる。すぐに耳元で嬉しそうなシンの声が聞こえた。その声がすごく愛おしく感じられて、私のぽっかりと空いていた穴が満たされていった。