九百三十億光年の愛を捧ぐ

 酷く視界が揺れる。
 自分の足元がゆらゆらと揺れている気がする。確かに立っているはずなのに、風が吹いてしまえばすぐに崩れてしまいそうな、そんな感覚。ノイズが走るように世界が歪む。直感的に分かってしまった。世界を私が崩しているのだ。いずれ私が此処にいるだけで宇宙が壊れていくのだろう。──そう思い立った瞬間、今回の自分は「バグ」になったのだと理解した。

 バグでの勝利はAC主義者での勝利の次に難しいと個人的に思う。味方は居ないし、人間とグノーシア双方から狙われる。何をするにも自分でなんとかしなくてはならない、孤立無援の存在。それがバグだ。
 銀の鍵を満足させるためには、搭乗員の情報を集めなければならない。だからループを脱するには議論で勝とうが負けようが関係ないのだが、生存している日数が長いほど情報を拾える可能性は少し高くなる。それ故に少しでも生存確率を高くするため、勝利を狙うようになったのは何回目のループだったか。まあ、勝てるのであれば勝ちたいと思ってしまう負けず嫌いの生来の性が出ているだけかもしれない。
 今回は騙りに出ようか、それとも沈黙か。悩んでいる最中にも会議は進んでいってしまったようで、エンジニアが二人、名乗り出た。一人は夕里子で、もう一人はレムナン。夕里子が出てきたのを見て、騙りをしなくて良かったなあと心底思った。彼女は鋭く、敵に回すと危険な人物であると今までのループで痛いほど染みている。案の定、そんな夕里子の対抗に出てしまった哀れなレムナンは、彼女の反撃によって針のむしろ状態だった。
「ぼ、僕が本物のエンジニアでっ……」
「黙れ。誰がお前の意見を求めた」
 レムナンの性格では夕里子に到底太刀打ちはできないだろう。彼のおどおどとした性格は、夕里子の論理的に追及するそれに相性がとても悪い。彼が口ごもる間に、夕里子の熾烈な攻撃で論調は夕里子優勢に傾きつつあった。
 バグである自分からすれば、どっちがコールドスリープされようがどうでもいい。ここでレムナンがコールドスリープされたとして、レムナンが本物のエンジニアであれば万々歳であるし、グノーシアの誰かであったとしてもここで一人落ちてくれるのであれば自分としては助かる。つまりこの段階で自分が口を挟むことは何もない。それが自分が生き残るために一番楽な手段。そう考えていた筈、なのに。
「私は、レムナンをコールドスリープするべきじゃないって思うけど」
 やってしまった。と思ったころにはもう遅かったのだ。

「意外だったな、あそこでレムナンを庇うなんて」
「自分が一番それを思ってるよ……」
 議論の後、一緒に食事をとろうと呼び止められ、食堂でいつもより遅い情報共有をしたセツが苦笑交じりに言う。ちなみにセツは今回はグノーシアらしい。グノーシアとバグの人外同士の食事会。知る人が見れば恐ろしい会だが、今ここにそんなことを気にする人はいない。
「あそこで黙ってレムナンがコールドスリープされてたら、本物でも、グノーシアの騙る偽物でも、どちらでも自分としては楽になってたんだけどね」
「でも、君が庇ったおかげでレムナンは今回コールドスリープを免れた」
 セツの言う通り、レムナンはコールドスリープされなかった。それが本当に自分の発言が影響してのものなのかは分からないけれど。
「私のおかげなのかなあ。……うーん、セツ、レムナンって本物? それともグノーシア? どっち?」
「それは答えてあげられないね」
 いたずらっぽく微笑むセツにわざとらしく口を尖らせれば、それが面白かったみたいでセツは破顔する。「その顔は反則じゃない?」「じゃあ、教えて」「ダメだよ」「ケチー」もはやただの雑談だ。
 レムナンがコールドスリープされなかった以上、彼が本物かどうか分かればこの後の動きの対策を講じることもできただろうが、セツは教えてくれなかった。そもそも、セツは自分の役職を教えてくれても仲間を自分からバラすことはどのループでもなかったから、教えてもらえるとは最初から思っていなかったわけだけど。
 その時、食堂のドアが開く音が聞こえた。私とセツは顔を見合わせてお互いにジェスチャーをする。意味は「この話はここで終わりにしよう」のジェスチャーだ。これはお互いに情報共有中に他の人に聞かれそうになった時の緊急用のジェスチャー。特に今回はグノーシアとバグの二人組なのだから、それを他の誰かに聞かれてしまえば大問題だ。
 入室者はそのまま一直線に私たちのテーブルまで向かってくる。そして私の席の隣までやってきて、静止した。入ってきた人物は──「レムナン? どうしたんだ?」セツが驚いたような声を上げた。
「……その、少しだけ、お時間いいですか」先ほどまで話題の中心人物だった彼は私を見つめてか細い声でそう言った。私は思わず呆けてしまって、まじまじとレムナンの顔を見返す。数秒経った頃だろうか、セツが私の名前を呼んだ。
「えっ、わ、私?」
「君以外居ないと思うよ……」
 セツの呆れた声が聞こえた。だって主語が無かったから、レムナンの相手が誰のことを指してるのかわからなかったのだ。
「ダメだったら、大丈夫です……。お二人で話をしていたみたいですから」
「ああ、それなら構わない。ちょうど話が終わったところだからね。ね、そうだろう?」
「まあ、そうだね」
 お互いにジェスチャーをしたから、便宜上は話は終わったことになっている。まあ話というか、ほとんど雑談になっていたから、あのまま話を続けたとしても、ダラダラといつ終わってもいいような話しかしていなかったとは思うのだけれど。
「それなら、この後、動力室に来て下さい。話したいことがあるんです」
 お願いします、とレムナンは深々と頭を下げたかと思うと、踵を返してそのまま食堂を出て行ってしまった。いまいち状況を飲み込めないまま彼の背中がドアによって隠されていくのを私たちは見送る。そして完全にドアが彼の背中を隠した後、セツがこう言った。「あれは、協力の依頼かな」
「そうかもねえ……」私もセツと同じ意見だった。
 今までのループから察するに、レムナンは自分に味方する人には大分盲目的な一面がある。大方、さっきの議論で自分を庇った私を味方と思ってくれたのだろう。残念ながら、私の正体はみんなにとっては敵でしかないバグなのだけれども。でもまあ、もし勘違いしてくれたのなら好都合だ。協力関係に持ち込めばよっぽどのことがない限り、レムナンは私を検査しないだろう。勿論、この利点はレムナンが本物のエンジニアであるという前提の上で成り立つものだが。今回のループでは孤立無援なバグなのだ、味方が増えることに越したことはない。この機会は逃さず、利用させてもらいたいところだ。
「じゃあ行ってこようかな。バグとしては協力者が増えてくれるのは願ったり叶ったりだし。……ねえ、もう一回聞くけど、ホントにレムナンってどっちなの?」
「さあ? どちらでもない、AC主義者かもしれないよ」
「今回、AC主義者はいーまーせーんー」
 セツも勿論、分かってて言っている。だってほら、証拠にいたずらがまた成功した子供みたいな笑みだ。私はそんなセツに意趣返しにべーっと舌を出してから食堂を出て行った。

 動力室。機械に囲まれたこの部屋で、レムナンはぼんやりと機械を見上げていた。私が部屋の中に入ると、その藤色の瞳をゆっくりと此方へと向ける。
「さっきは、ありがとうございました……」
 彼の心から安堵しているような声に、私は首を横に振る。
「議論の時のことなら気にしないで。つい口から出ちゃっただけだから。この船にはバグだっているんだし、推定エンジニアの人にはまだ眠ってほしくないなって思って」
 バグは自分自身だというのに、よくもまあ我ながら抜け抜けと言えたものだ。少し前まで彼がコールドスリープされたら万々歳だとも思っていたのにとんだ大ウソつきだ。そんな私の内心を知ってか知らずか、レムナンは私へと向き直る。
「いいんです。どんな理由であれ、貴女が庇ってくれただけで……」
 彼のその言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えた。というのも、実は以前のループの時にも似たような事例があったからだ。
 ただその時は、今回と同じように自分がレムナンを庇い、レムナンにお礼を言われるということがあったのだが、その後庇った理由を聞かれてしまい、とっさに「レムナンが好きだから」と答えたところ一気に険悪ムードになってしまったという苦い思い出だ。そのループのレムナンとは仲直りすることはなく、私がグノーシアに消されてしまったことでうやむやになってしまった。
 当時はまだ知らなかったものの、どうやら彼は女性に一定の苦手意識を持っていたようで──つまるところ、私は彼の地雷を踏み抜いてしまったのである。
 そんなことがあったものだから、レムナンにどう接すればいいのか分からないというのが正直なところだった。私としては、その、彼と話ができる機会があるのであれば話をしたいな、とは思ってはいる。だけど、彼からすれば、苦手意識を持っている女性に話しかけられるどころか庇われたワケだ。普段の彼なら感謝しつつも一定の距離を保っていそうなイメージなのに、「どんな理由であれ、貴女が庇ってくれたから」と答える彼は、なんだかどこか彼らしくない、そんな気がする。
「貴方はセツさんと、結構親しい、ですよね」
「えーと、うん。そうだね」
 レムナンをこちらを伺うような発言に思わず面食らう。いや、伺うというよりは何か、じっとりとしたものを感じる。私を見つめる藤色は、私の一挙一動を見逃さまいと見つめているようだった。
「もしかして、セツさんとは、もう協力関係を組まれてたり、とか……?」
「それはまだ、だよ。……どうして?」
「よかった……。……えっと、その、僕が、貴女と組みたかったから」レムナンは顔を綻ばせてそう言った。
 彼の言葉に思わずポカンと口を開けてしまう。驚きすぎて声が出なかったという方が正しいかもしれない。
 なにか、私の知っていたレムナンと違う気がする。私の知っているレムナンは、女性が苦手な人だ。
 もし協力関係が結べるのなら、と単純な気持ちでやってきたけど、レムナンの予想外の反応に頭が混乱している。この宇宙のレムナンに一体何か変なことでも起きてしまったのだろうか。私が、世界を歪ませるバグが、存在してしまっているからなのだろうか。こんなんじゃまるで、レムナンが私のことを好きみたいな──そう考えて、すぐに頭から考えを消した。レムナンに限ってそんなことはないだろう。過去に拒絶されたときのレムナンは、そんな恋愛めいたものが心の底から嫌そうだったのだから。……思い出すと、少しだけ、胸の奥が痛んだ。
「私でいいなら……、よろしくお願いします?」
 混乱にまみれた私の承諾に、レムナンはこの上ないほど柔和な笑みを浮かべて頷いた。──かくしてレムナンと私は協力関係を結ぶことになったのだ。

 二日目。対抗に出ていた夕里子が人間宣言を拒否したことで疑われ、コールドスリープされた。翌日、唯一出ていたドクターからグノーシア反応を検出されて、夕里子はグノーシアであったことは船員全員に知られることになった。──必然とレムナンがエンジニアであることは船員全員から認められた。私は真エンジニアと協力関係を結べた、ということだ。
 しかし、協力者になったレムナンは謎に過保護だった。
 メインコンソールで私の姿を確認するたび、ホッとした顔を隠さない。日を跨いだ後は真っ先に私に会いに来たと思えば、何気ない雑談をする。
 どうやら彼は機械を弄るのが好きみたいで、それで動力室によくいるらしい。自分はあまり機械に詳しくないけど、レムナンに釣られて興味が出てきたと言えば、レムナンはそれは自分のことのように喜んでいた。
 レムナンが私によく構ってくれるのは、とても嬉しかった。前にレムナンに拒絶された傷が少しずつ癒されるような気がして、レムナンが私を呼んでくれる度に胸が高鳴るような気がする。彼を利用している立場でありながら、なんとまあ自分勝手なバグだ。
 それでもやっぱり、彼への違和感は大きかった。私は急ぎセツを食堂に呼んだ。
「私も驚きだな。そんなレムナンは今まで見たことないよ」
 セツは飲んでいたティーカップをソーサーの上に置く。平坦なテーブルの上に置かれた紅茶は食堂の光源に照らされて、先程までの飲み主のにこやかな顔を反射している。
「それにしても知らなかった。君がレムナンのことを好きだったなんて。……うん、成程ね。最初の議論では、思わず庇ってしまった、ってところかな?」
「好きっていうかー……なんかー、ぽろっと口から出ちゃったというかー」
「ぽろっと、か……。ふふ、それはもう好きなんじゃないか?」
 改めてセツにそう言われるとすごく恥ずかしくなってくる。明らかに熱くなってきている頬を両手で抑えると、セツは優しい目をして微笑んでいた。うう、楽しまれている。
「レムナンの反応を聞くに、期待しても良さそうだと思うけど」
「ええー、そうかなあ……」
 確かに今までのレムナンの対応を思い返せば、勘違いしたくなってしまう。今回のループのレムナンは明らかに何かが違う気がする。だけど、だからって鵜吞みにしてぬか喜びをしたくない。拒絶された時を思い返すと酷く胸が痛んだ。それにもし、レムナンが私のことを好きになってくれているのだとしても。
「私、バグだもん。……相容れないよ」
 レムナンが協力相手として選んだ自分が、正体はバグだと知ったら彼はどんな顔をするか。裏切られたと憤るのだろうか。利用されたと嘆くのだろうか。どちらにせよ、きっと私を嫌いになるだろう。……仕方ない。今の私は彼を利用して生き延びようとしているのだから。寄生虫のように。──嗚呼、正しく虫バグだ。バグとは他人の好意を貪り、宇宙を害する虫なのだ。
「それに、さ。どうせループしちゃうから。もし、レムナンが私を受け入れてくれたとしても、……結局お別れになっちゃう」
「それは、そうだね……」
 幾度となく、私たちはループを繰り返してきた。銀の鍵が満ちるまで、私たちは解放されない。どれだけ仲良くなっても、敵対してても、新しい宇宙へ飛べばゼロに戻ってしまう。もし、レムナンと良い仲になれたとして、それでまたループしたなら。それはすごく辛いと思うのだ。ゼロに戻るとわかっていながら、私は飛び込む勇気はとても持てない。私は良くも悪くも、ループに慣れてしまっていた。
「でも、本当に、レムナンが好意を持って接してくれてるなら……。このまま彼を利用し続けるのは……、辛いよ」
「……本当にレムナンのことが好きなんだね」
「そうかも。……結構好きなのかも」
 私はテーブルに突っ伏す。自分が彼のことを好きなのだと認めたら、胸の奥が苦しくなって、鼻がつーんと痛くなる。泣きたくなくて目元を手で拭ったら、セツの手が私の頭を優しく撫でた。それに思わずほろりと一筋涙が零れ落ちてしまう。
「好きなんて気がつきたくなかったなあ」声は震えていた。
 どうせ拒絶されて、どうせゼロに戻ってしまう関係性なら。最初から好きになんてなりたくなかった。
 私の言葉にセツは何も返さない。それが今の私にはすごくありがたかった。

 議論は進み、グノーシアと疑われた人は次々とコールドスリープされていった。セツは過去の経験から上手に潜伏を続け、未だ眠らされてはいない。
 残りは私を含めて五人。ドクターの検査結果からグノーシアは残り一人──つまりセツのことだ──が確定している。今日一人が消滅させられて、明日は四人になる。セツはバグが私だと知っている。セツは私を襲わない。だからきっと明日の議論が最終決戦になるだろう。私が眠らされてセツグノーシアが勝つか、セツが眠らされて私バグが勝つか。私たち人外を同時に眠らせるしか、もはや人間側に勝利の芽はない。
 でも私は、もう一つの選択肢を選ぼうと思った。

 私はレムナンを動力室に呼び出した。彼は戸惑いながらも来てくれた。周囲に誰もいないことは知っている。動力室のドアが確かに閉まり切ったのを見てから、そして私は頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
「あ、頭を上げてください……! ど、どうしたんですか、いきなり……」
 レムナンが慌てるのは当たり前だ。協力者に呼び出されたと思ったら、いきなり謝罪をされるのだから。だけど、私は頭を下げたまま言葉を続ける。
「私はずっとレムナンを騙してたの。私は、バグです。こんな自白で、罪滅ぼしになるなんて思わない。でも、このまま明日を迎えたら……。明日、私とグノーシアを同時に眠らせない限り、レムナンたちは勝てない。だから、だから今日……」
 私を消してください。
 酷いことを言っていることは分かっている。レムナンは聡いから、私が何を言いたいのか伝わっただろう。自分が利用されていたということも気がつく。そしてここから彼らが勝つには、今日私を消して、明日グノーシアを見つけ出す。それしか道がないということも。
 罵倒されても仕方ないことをした。どう思われても異論はなかった。それだけのことをしたから。でもせめて、レムナンには勝ってほしくて、それが私に優しくしてくれた今回の彼への罪滅ぼしとして、バグであることを告白した。セツグノーシアを告発しなかったのは、私は役職を教えてくれたセツを裏切ることはできなかったからだ。私を消して、明日セツとレムナン達には平等に戦ってほしい。それが、私のエゴに塗れた私にできる罪滅ぼしだった。──だけど、レムナンは信じられない言葉を吐いた。
「知ってますよ」
 レムナンは穏やかに笑う。驚いて顔を上げる私を他所に、その笑みを崩さない。「貴女が僕を利用していたのも、貴女が最初から僕たちの敵だったってことも」それどころか納得がいったかのように頷いて、更に笑みを深めた。
「最初の、僕を庇ってくれた時。本当は、僕をコールドスリープするべきじゃないって言葉、あれ、ウソでしたよね」
「……え?」
 心臓の鼓動が嫌に早まる。吸った息が浅く感じられて、頭が回らない。ウソに気が付いていた? レムナンは何を、言っている?
「ウソをついてることしかわからなくて、グノーシアなのか、バグなのかまでは、流石に分かりませんでしたけど……。でも、ようやく分かりました。ふふ、貴女がバグだったなら、本当はあの時、エンジニア候補だった僕を眠らせたかったはずですよね」
 背中に冷たい汗が伝う。協力を申し込んできたときの藤色の瞳が、あの時と変わらないじっとりとしたものが、私に向けられている。レムナンは、何を言ってるんだろう。彼が何を考えているのか、全く分からない……。
「ウソだって、気が付いてたの? それなのに、分かってたのに、私に、協力の申し出をしたの? なんの、ために……? 私を利用するため?」
「そんな訳ありませんっ」
 レムナンが初めて声を荒げた。彼の必死な顔が私を見る。
「そんな訳……そんな訳、ないじゃないですか……。僕はただ……、貴女の味方に、なりたくて」
「味方?」
「僕は、貴女に利用されても良かったんです。ただ、貴女の味方になりたかった。……協力を申し出たのは、そのためです。こんなの、信じてもらえないのはわかってます。でも、本当なんです……」
 信じてください、とレムナンは消え入りそうな声で呟いた。そして、全部話します、とも。彼の言う全部とはいったい何だろう。
 レムナンは震えた声で紡ぐ。
「僕は、ここじゃない別の宇宙で、貴女に出会ったことがあるって言ったら……、信じてくれますか?」
 彼は、今、なんて言った?
 
「別の宇宙では、僕は貴女に好きだって言ってもらった記憶があるんです。そしてその時の僕は、貴女を拒絶しました。今思えば、あんなに拒絶しなくてもよかったのに。……あの時の僕は貴女をひどく傷付けたんでしょうね」
「な、なんで知って──」そこまで言って咄嗟に自分の口を手で覆う。だけどとっくに彼には聞かれていて、彼は得心したように頷いた。「……貴女も、覚えているんですね」
「僕が貴女を拒絶してしまった宇宙では、貴女が守護天使でしたよね。それで、その時もエンジニアだった僕を、ずっと守ってくれていた」
「そこまで、知ってるの……」
「貴女が消えた次の日に、僕も消されたので……。きっと、あの時のグノーシアは貴女で守護天使を落とせたと確信したんでしょうね……。だから次にエンジニアだった僕を消しに来た」
 レムナンの推測通りだ。私がレムナンに拒絶された宇宙でも、レムナンはエンジニアだった。私はその時は守護天使で、徹底して毎回レムナンを守っていた。何回かはグノーシアの襲撃を防げていたと思う。その宇宙はバグの居ない宇宙だったから、誰も消滅しなかった日は、グノーシアは守護天使にさぞや業を煮やしただろう。
「あの時の僕は何も知らないまま消えました。全てに気が付いたのは、この宇宙で前の宇宙の記憶を思い出した時、です。……すごく、混乱しました。でも、同時に思ったんです。……あの時、貴女を拒絶しなきゃ良かったって」
 レムナンは懺悔するかのように顔を覆った。
「僕のこと、ずっと守ってくれてたんですよね。……それなのに、僕は、貴女を拒絶した! 守られてながら、自分が嫌だって理由で、ただ拒絶して、貴女を傷付けたまま、貴女は消されて、僕は貴女のことを知らないまま、僕も消された!」もはやその声は慟哭だ。
 当時のレムナンは私が守護天使だったなんて知らなかったのだから、そこまで思い詰めることじゃあないと私は思う。でもそれは私視点の話だ。全てに気がついて、全てを知った時の彼の気持ちは、いったいどんなものだったのだろう。それを私は否定できない。
「思い出して、全部に気が付いて……。まるで因果みたいに僕はまたエンジニアだった! あの時、貴女が僕を守ってくれていたみたいに、僕だって貴女を守りたかった! だから、貴女が何者であったとしても、僕はずっと貴女の味方をしようって決めたんです……」
「そんな……、まさか……」
 まさか、レムナンに記憶があるなんて思いもしなかった。しかも私が彼に拒絶された時の記憶が、なんて。
「貴女は『罪滅ぼし』だって、言いましたよね。……僕だって同じです。僕は、僕なりに貴女に報いたい。だから……」
 生きてください、とレムナンは頭を下げた。
 なんだろう、これは。私はレムナンに生きて欲しくて、自分を消して欲しかったのに、レムナンは私に生きていてほしいのだと言う。酷いすれ違いだ。
 でも、私はこの宇宙で消えたところで次の宇宙がある。レムナンは、どうなんだろうか。
「ねえ、レムナン。これ……『銀の鍵』って持ってるの?」私は銀の鍵を出して彼に見せる。
「……? すみません。僕は持っていないと、思います」
「そっか……」
 レムナンは銀の鍵を知らない。つまり、レムナンは銀の鍵を用いたループではないのだろう。じゃあ何故彼が他の宇宙での記憶を持っているのか、それは分からない。賢いラキオなら仮説をすぐ組み立てられたのかもしれないけど、私はそうじゃない。考えつくのはせいぜい、バグの自分がこの宇宙に何か干渉してしまったのではないか、というくらいだ。バグという存在は一体何なのか、未だに分からないのだから。そういうこともあるのかもしれない。
 でも、彼がループでこの宇宙に来ているとは言えない以上、このグノーシア騒動が終わった後も彼はこの宇宙で生きていくのかもしれない。もしそうなら、次の宇宙がある私なんかのために、彼の生きる宇宙を消したくない。それが私の思いだった。
「私ね、この『銀の鍵』で宇宙をいっぱいループしてきたの。だから、この宇宙で消えちゃったところで、次の宇宙に行く。レムナンが気負う必要なんて、無いんだよ。だから、……自分が居るせいでレムナンの生きる宇宙を消すくらいなら、自分が……」
 レムナンは「ループ……。だから、他の宇宙なんて荒唐無稽な僕の話をすぐに信じてくれたんですね……」と呟いた。「少し、考える時間をください」とも。レムナンは悩む時いつもするように、ぎゅうっと服を握りしめていた。
 彼は、どうするつもりなのだろう。彼は何を悩んでいるのだろう。私にはレムナンが悩んでいることがさっぱり分からなかった。私を消してくれたら、それだけで済む話なのに。
「ごめんなさい。一人に、してくれませんか」
 私はレムナンのその言葉に頷く。動力室から出ていく時、ぼそりとレムナンが何かを言った気がした。でもそれは聞こえることなく、扉の中へレムナンと一緒に仕舞われていってしまった。

 空間転移が終わって目が覚めると、いつも通りの天井が眼前に広がった。起きてすぐ時間を確認すれば、時間は巻き戻ってはいなかった。消えて、いない。レムナンは私を検査しなかった。それが分かった瞬間、私は思うがまま部屋を飛び出す。行き先はメインコンソールただ一つだ。
「──レムナンっ!」
 メインコンソールに飛び込めば、そこにはただ一人、レムナンが立っていた。
「……おはようございます。早かったですね、まだ皆さんは来ていませんよ」
「なんで、なんで! 私が消えてないの! どうして!」
 食ってかかるように飛びついた私にレムナンは動じない。それどころか、私にそっと静かにするよう促す。
「皆さんに聞こえてたらどうするんですか。ダメですよ、そんな大声出したら」
「ほ、本当に、何を、考えてるの……?」
 レムナンは私の問いに答えない。ただ微笑みながら、「この後は全部、僕に任せてくださいね」と言った。私はレムナンに再度問いただそうとしたけど、メインコンソールのドアが開いて続々と他の人が入ってきたことでそれは中断されてしまう。私は嫌な予感が拭えないまま、議論に参加することになってしまった。
「──彼女を調べたところ、人間でした」
 議論で口火を切ったのはレムナンだった。誰に聞かれるよりも前に、レムナンは四人全員が揃うや否や私の名前を挙げて結果を発表した。──絶対にあり得ない、エンジニアの検査結果を。
 その結果を聞いた時、セツは大きく目を見開いてレムナンを見る。私も驚きが隠せないまま、レムナンを見た。
「それはどういう──」
「聞こえませんでしたか。じゃあ、もう一度言いますね。彼女は、人間でした」
 レムナンはきっぱりとそう言った。そんな彼に、セツは愕然とした表情を隠さない。それもそのはずだ。だってレムナンは、本物のエンジニアでありながら、バグを消滅させなかったのだから。もっと言えば、レムナンはエンジニアとしての仕事を放棄したのだ。それは、人間でありながら、この宇宙の崩壊を良しとしたことと同じことだ。
 この宇宙が終わっても次がある私やセツがそんな選択をするのなら、まだ理解できただろう。でも、レムナンはこの宇宙でこれからも生きていくであろう人間だ。そんな彼がこの選択をしたのは、自殺に等しい行為に他ならない。
「レ、レムナン!」
「レムナン……。自分が何をしているのか、分かっててそれを……?」
「分かってて? 何の話ですか? 不思議です、セツさんにはまるで今の状況が分かっているみたいですね。……それは貴方がグノーシアだからですか?」
「……」
 グノーシアなのか。それを問われるとセツは黙らざるを得なかった。
 セツは私がバグだということを知っている。だからこの盤面の内訳は人間二人、グノーシア一人、バグ一人の四人だとセツにはもうわかっているのだ。でも、レムナンは私が人間だとウソをついた。そのせいで、残ったもう一人には人間三人、グノーシア一人の四人盤面にしか見えないだろう。そんなところでセツがエンジニアであるレムナンのウソを追及しても、意味がない。この盤面でセツがすべきことは、残ったもう一人にグノーシア容疑を擦り付けることだけだ。万が一、セツが私をバグだと告発したとしても、レムナンがウソをついてまで庇った私に票を入れるはずもない。私も自分には票を入れられない。それに、残った一人だって本物のエンジニアだと証明されたレムナンの結果を今更疑うこともないだろう。
 ウソの結果に圧殺されてしまったセツはどう足掻いたってどん詰まりなのだ。とうにバグの生存は確定してしまった。そして、それはこの宇宙の崩壊を意味する……。
「そう……。なら、もう私にできることは何もないみたいだね」
「セツ……」
「ふふ、二人の仲の良さにやられちゃったってところかな。……やっぱり今日、レムナンを消さなくて良かったよ」
「それは……、ありがとうございます」レムナンは深々とセツに頭を下げた。
 それを見てセツはLeViを呼んだ。「LeVi、すまない。コールドスリープするまでなるべく時間をかけてくれないか。……大丈夫。逃げるわけじゃないよ。ただ、二人の時間を少しでも長くしてあげたいんだ」
「……かしこまりました」
 LeViの返答にセツは満足げに頷いて、レムナンに向き直る。
「レムナン。君がその結果を出したって言うことは、もう全て分かっているんだろう? 時間は用意したけど、無限じゃない。彼女の反応を見るに、お互い承知の上、と言うわけでも無さそうだし、ちゃんとわだかまりは解いておいた方がいい」
 レムナンはそれに頷いた。どうやらレムナンはセツの真意が分かったらしい。私だけ、何も分かっていない。頭上にハテナを浮かべる私にセツは微笑む。 
「大丈夫。また次で会おうね。……悔いは、残さないように」
 そう言ってセツはメインコンソールを出ていってしまった。向かう先はコールドスリープ室だろう。そこで先程LeViに頼んだように、ゆっくりと一人眠りについていくのだろうか。
「僕たちも行きましょうか」レムナンがそう言って、私の手を取った。
「行くって、どこへ?」分からなくてそう聞き返す。
「……僕たちが始まった場所、ですかね」
 レムナンは私の手を取ったまま、一緒にメインコンソールを後にした。

 私たちが辿り着いた場所は動力室だった。今回の宇宙はよく動力室に来たような気がする。レムナンと協力関係を結んだからだろうか。もう、それも終わるのだが。宇宙ごと。
「ねえ。説明、してくれるんだよね?」
「はい……でも、ただ」
「ただ?」
「……手を、繋いだままでも、いいですか」
「……うん」
 困惑はまだ続いている。でも、まだレムナンのことが好きな気持ちは変わらない。だから彼にそう言われたら断れなくて、繋いだままの手を握り返すと、レムナンは嬉しそうに笑った。
「セツが少し時間をくれたけど、……あんまり、時間は無いかも。いつ、宇宙が終わっちゃうのか……、私にも分からないんだ」
「じゃあ、手短にすませないといけませんね……」
 レムナンはすうっと深呼吸をして、私を見た。
「昨日、貴女の話を聞いて、どうしようか悩んでいたんです」
「私を消すかどうかって事?」
「いいえ。それは最初からしないって決めてましたから」レムナンはさらりと答える。
「正直、消してほしいと頼む貴女は自分勝手だと思いました。僕は貴女を生かしたかったのに、どうして僕にそんなことを頼んでくるのかって」
「自分勝手って……。うーんまあ、そうかもしれないけど」
 言われても仕方ないところではある。でもそれを言うのなら、私を消さないという選択を選んだレムナンもレムナンで自分勝手ではなかろうか。
「はい。僕も自分勝手です。貴女が自分勝手な事を頼んでくるなら、僕もそうしようと思いました。実際、貴女をどうするかは、僕が決められる立場に居ましたから」
 し、強かだ。レムナンって薄々思っていたけど、オドオドとしている割には、びっくりするほど強かな一面が時折見え隠れする。私は思わず苦笑してしまった。
「僕の想いは最初から変わりません。貴女が、バグが残るせいで僕ごと宇宙が消えてしまうのだとしても──それでも僕は、最後まで貴女の味方で居たかったんです。貴女が何者であれ、それはずっと変わりません」
 レムナンはそう言って私に微笑みかける。私は恥ずかしくなって、捨て台詞のように「そんなの、まるで、私の事、好き、みたいじゃん」と言ってしまった。すると、レムナンは顔を途端に真っ赤にして「はい……。僕は、貴女のことが、す、好き、です」と消え入りそうな声で答える。な、なんなんだ、さっきまで流暢に言ってた癖に、ここで照れるのはなんなんだ。そんなふうに言われると、こっちだってすっごく恥ずかしいじゃないか。ああ、もう。
「じゃあさ、何を悩んでたの? 最初から私を消すつもりは無かったんでしょ」
「……貴女が次の宇宙に行った時のことです」
 レムナンのその言葉はグサリと私の胸を貫いた。
「僕は、貴方たちのようにループしてる訳じゃ、ありません。記憶を引き継げた理由も分かりません。だから同じような事がまた起きるかは、誰にも分からないんです」
「うん……」
 大抵は記憶なんて引き継がない。今回が奇跡のようなもので、セツ以外のみんなとは毎回「初めまして」からのスタートだ。それが苦しくて、あまり深入りはしないようにしていた。──きっと、今回のレムナンの記憶もこの宇宙の崩壊と同時に無くなってしまうんだろう。それがすごく悲しくて、寂しい。
「次の宇宙の僕は、貴女のことをなんとも思っていないかもしれません。……むしろ、苦手だと思っているかもしれません。僕ですから、その方が多いと思います」
 レムナンが私の手を握る力を強めた。離したくない、と言わんばかりのそれに、私も握り返す。
「でも、それは全てがゼロに戻るってことじゃないって思いたいんです」
「え……」
「貴女がどれだけ繰り返しても、僕と険悪な関係になっている宇宙があっても、この宇宙の僕とこうやって手を繋いだ事実はなくなりません」
「なくなら、ない?」
「はい。貴女が覚えていてくれたら、この宇宙がなくなっても、それはゼロに戻るってこととはまた違うと思うんです」
 そう、なんだろうか。私にはわからない。何回も繰り返しすぎて、何回も「初めまして」をした。それに慣れすぎてしまったから、レムナンが言ってることが正しいのか私には判別ができなかった。私の困惑はレムナンにも伝わったようだ。レムナンは少し悩んで「じゃあ、こうしましょう」と言った。
「どうするの?」
「結局、貴女の『罪滅ぼし』って出来てないですよね。貴女は、自分を消すことがそれに値するって考えていましたから」
「そ、それはそうだけど……」
「だから、僕に償ってください。貴女のせいで消えるこの宇宙を、忘れないでください。……貴女がどれだけ繰り返し続けるのか、それは僕には分かりません。それでも、貴女がループを抜けるまで、──いえ、貴女がループを抜け出した先のその宇宙でも、僕を、忘れないでください。それが貴女が利用した今回の僕への、『罪滅ぼし』です」
 それは、なんとまあ。「酷な事を言うねえ……」
「僕からすれば、他の宇宙の僕と貴女が仲良くされるだけでも嫌です。妥協点だと思ってください」
「えぇ、自分自身なのに。レムナンって嫉妬深いタイプだったんだ」
「はい。僕も初めて知りました。……貴女のせいですよ、もう」
 そう言って私とレムナンは笑い合った。しばらく笑って、お互いの笑い声が落ち着いてきた頃、Leviのアナウンスが入る。
「セツ様のコールドスリープが終了致しました。……恐らく、もうすぐでございます」
「うん。ありがとう、ステラ。教えてくれて」
 私の答えにLeVi ──ステラは何も返さなかった。多分、二人きりの時間を優先してくれたのだろう。ステラは優しいから。
「ステラさんってLeViだったんですか」「そうだよ。何回か前のループで知ったんだ」「へぇ……」限られた時間の、彼との何気ない会話が何よりも愛おしかった。本当はずっと、こんな話をいつまでもレムナンと一緒に続けていたい。……どうしてループしてしまうのだろう。このまま、一緒に終われたら良かったのに。そんな思考に陥りそうだった私の名前をレムナンが呼ぶ。
「そんな顔、しないでください。僕、最期は貴女の笑った顔が見たいです」
「無理だよぉ……。私だって、私だって、レムナンと一緒に居たいのに。なんで、ループなんか……」
 そう言うと涙が次から次へと溢れてくる。嫌だ、私だって最期はこんな顔で終わりたくなかったのに。拭っても拭っても涙は零れ落ちていく。治らない、大号泣だ。
 顔を繋いでいない方の手で拭ってわんわん泣く私を、レムナンはしばらく困ったように見ていた。
「……顔をあげてくれませんか」
「うう……。ヤダ、こんな顔、見られたくない」
「お願いします」
 彼にそう頼み込まれて、顔を渋々あげた。涙でべしょべしょの顔だ。あんまり見られたくないと思っていたのに、顔をあげたら彼の顔がすぐそこにあった。そして驚く間もないまま、彼との距離が近づいていって、そして、ゼロになった。
「……結構、恥ずかしい、ですね」離れた後、真っ赤な顔をしてレムナンが言う。
 キスを、した。彼とは最初で、最後のキスだった。
「……するなら言ってよ」「す、すみません」「初めてだったのに」「それは、ちょっと、いえ、すごく嬉しいです」あまりに正直な彼の感想に、思わず笑ってしまった。涙で濡れた顔で思わず吹き出すように笑った顔はお世辞にも可愛くなんてなかっただろう。それでもレムナンが幸せそうに笑っていた。それだけで良かった。
「笑ってくれて、良かったです」
「うん」
「約束、守ってくださいね」
「……うん」
「……そうだ。あと、もう一つ。これだけ、覚えておいてください」
「……なあに?」
 ぎゅうっと繋いだ手。そこから伝わるレムナンの温かさを忘れないように、自分に刻み込む。私がこの先も覚えていられるように。彼に償いを続けられるように。忘れないように、ぎゅっと。
「貴女を好きな僕が居たこと、貴女に宇宙も捧げた僕が居たってことを、貴女がこの先も、それをずっと覚えていてくれるなら──。僕はきっと、どの宇宙でも、誰よりも、一番幸せなんです」
 レムナンは殊更幸せそうに笑って──そして宇宙は崩れ落ちた。