混同された愛の末路

「私たち、別れようか」
切り出された別れの言葉は嫌に空気に響いた。

 外から聞こえてくる罵声。予備学科たちが希望ヶ峰学園への不満をぶちまける集会、曰くパレードの声が日に日に大きくなっていく。その中でも彼女のその言葉は一際大きく聞こえて。パレードの雑音に搔き消されることなく、ボクの耳へと一言一句違わず吸い込まれて。
 ボクは彼女が別れを切り出した理由が分からなくて、思考停止した頭では「なんで」という陳腐な言葉しか出力されなかった。ボクのようなゴミクズでは、希望の象徴の一人である彼女にはふさわしくなかったのだろうか。そもそもな話、ボクなんかが苗字さんと付き合えたこと自体が奇跡だった。彼女と付き合えていた今までが身の程に余る幸運だったに過ぎない。
 ボクの疑問の言葉に苗字さんは瞼を伏せる。しばらく何か言いにくそうに口を開こうとしては閉じ、それを何回か繰り返した後、意を決したようにボクを見上げた。
「あんまりこういうこと言いたくないんだけど……。狛枝くんってさ、私のこと別に好きじゃなかったよね」
「そんなわけないよ!」
 彼女の口から衝撃の発言が聞こえてボクは半ば反射のように声を上げる。ボクが苗字さんのことを好きじゃなかったなんてそんなわけはない。ボクは彼女の在り方──自らの才能と向き合い、才能を活かして生きている彼女の姿が好きだった。だから、彼女がボクに告白してくれた時は、こんなロクでもないボクを選んでくれたことが飛び上がるように嬉しくて……。身の程に余る光栄だったと思いながらも、ボクたちは付き合いだして……。ボクの中で走馬灯のように蘇る記憶を他所に彼女は首を振る。
「それじゃあさ狛枝くん。もし私があの中の一員だったなら、狛枝くんは私のこと好きになってくれた?」
 彼女はそう言って指をさす。差された指の先は窓の外、未だ抗議を続けるパレードの集団だった。才能もないくせに才能を持つ人間を僻み、ただ群れては文句を垂れ流すだけの集団。そんな奴らの中に彼女が居たならと思うと体の芯が一瞬にして冷えるようだ。ボクは声を荒げる。
「キミみたいな素晴らしい希望の持ち主があんな集団の中にいるわけがない! だって苗字さんはアイツらなんかとは違う優れた才能の持ち主だ! だからボクはキミのことが好きで尊敬出来て」
「そうだよね。私が優れた才能の持ち主で狛枝くんの言う希望の体現者だったから、狛枝くんは私のこと好きでいてくれたんだよね。……でもさ、それって別に私じゃなくたって良いんだよ」
 そう言う彼女の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。でもそれは慈愛とか優しさに満ち溢れたものではない。そこに宿る感情は諦観。
「私じゃなくても、才能の持ち主で狛枝くんのいう希望なら誰だって。千秋ちゃんだって、息吹ちゃんだって、真昼ちゃんだって、ソニアちゃんだって、終里ちゃんだって、日寄子ちゃんだって、蜜柑ちゃんだって、ペコちゃんだって、──才能を持つ誰かなら、誰だって良かった。だってそうでしょ? 狛枝くんが求めてたのは希望であって、誰かという個人じゃないんだから」
 ボクは彼女の言葉に何も返せなかった。図星、だったのかもしれない。苗字は言葉に詰まるボクの姿を見て、ボクから視線を逸らしてしまった。彼女は窓の外のパレードを見て、再度瞼を伏せる。
「狛枝くんの言う希望を演じるのはもう疲れたよ」
 それが彼女との最後の言葉だった。

 彼女との別れ話の後、ボクは寮の部屋に帰っていた。どうやって帰ったのか思い出せない。ボクはそれが分からなくなるほど呆然としていたらしい。
 ボクの部屋は何処か伽藍としていて。よくよく見て見れば、よく遊びに来る苗字さんのために置かれていた彼女の私物は何一つ残ってはいない。彼女が愛用していたマグカップ。彼女が好いていたぬいぐるみ。無くなっている物は記憶を手繰り寄せばすぐに思い出せるのに、何故かその物を持っていたはずの苗字さんの表情だけが思い出せない。それらを持っていた彼女が笑っていたのか、怒っていたのか、泣いていたのか、ボクの記憶からはすっぽりと抜け落ちているそれは、まるでボクのことを責めるように彼女のことを見ていなかった現実をボクに突き付けて来る。
 彼女はいつの間に私物たちを持って帰っていたのだろう。それなりの数あった筈のそれらを一気に持って帰ることなんてできなかったはずだ。きっと少しずつ持って帰っていたのだろう。ボクはそれに何も気が付けなかったけど。元々、ボクは彼女の私物を気にしてすら居なかったのかもしれない。ボクは椅子に腰かけた。彼女を失った伽藍堂の部屋。
 ──ボクは結局、苗字さんの何が好きだったんだろう。
 ボクの私物しか残らない部屋の中、その問いに答えてくれるものは何もなかった。