多分嫉妬も少し入ってた
スパーンと小気味良い音がその場に響いた。丁度現場に居た(といっても端末内だが)七海はあのコロシアイ修学旅行という危機的状況でも浮かべなかった驚愕の表情を浮かべてその目を見開き、音の発生源を見た。彼女の驚愕の目線はある二人に――赤い花を一つその頬に咲かせた日向創と、咲かせた人物の苗字名前に向けられていた。苗字の腕は勢いよく振りぬかれたようで行き場を失った右手が空中で留まっていた。
――事の発端は少し前に遡る。
絶望の残党の勢いは未だ衰えず、プログラムに眠る七十七期生もまだ起こす目途が立ってない頃。眠りこける同級生をどうにか起こせないかと四苦八苦する横で、元絶望の残党である日向達を認めない未来機関の上層部と世界各地で暴れまわる絶望に侵された大衆の板挟みになる日々。そんな日々を送っていれば、当然疲れというものは重なっていくばかりで、いくら寝ても取れない疲れはどんどんと体に蓄積していった。そんな最中、ある一つの小瓶がジャバウォック島に届けられる。差出人不明、中身も不明。怪しいことこの上ないアイテムだが、疲労が積み重なった日向はあろうことかその小瓶の中にあったものを飲み干してしまった。疲れによる誤認だったとか、睡眠不足により集中力が低下していたとも言えば、いくらでも彼の擁護になるのだろうが、如何せんそのアイテムの効果が悪かった。――魅了だった。七海はゲームでの魅了デバフを真っ先に思い浮かべた。魅了状態に陥った味方は大変だ。見境なく味方に襲い掛かるわ、敵を回復するわ、戦況を崩された回数は数え切れない。あともう少しで削り切れそうなボスを魅了状態の味方が全回復したときはそれはもう悲惨で――閑話休題。話を元に戻そう。ゲームでも大変だった魅了。想像された通り、魅了というものはリアルでもやはり大変だった。魅了状態に陥った彼は手が付けられないことになった。元々ポテンシャルが高く、カムクライズルの才能も併せ持った彼が、その上理性も何もかも失って暴れまわるとすれば誰も手に負えないのである。七海はゲームオーバーの画面を幻視した。
しかしここでようやく救世主が現れる。それが苗字名前だった。日向の恋人である彼女は島に来てから事態を把握するや否や「はあ?」と零した。妥当な反応である。事態を把握した彼女は他のメンバーがしたように頭を抱えると、意を決したようにまっすぐ日向へと歩いて行った。ちなみにこの時日向は有志による努力によりなんとか縛り上げることには成功していた。
縛り上げられた自分の彼氏を前に動じなかった彼女は、一瞬だけその顔を歪めた後にその手を振り上げた。あとは冒頭の通りである。
苗字は勢いよく振りぬいた右手を下ろした。結構な勢いで右腕が振りぬかれていたはずだが、どうやらまだ日向はクスリが抜けきらないのか、先ほどよりはマシとはいえ少しぼんやりとした表情を浮かべていた。あんなに子気味のいい音を自身の頬で出されておいて、だ。それを苗字は確認するや否や呆れたように息を吐くと、今度は左腕を振り上げる。七海はあ 、と言葉をこぼした。それと同じくらいだろうか。またあのスパーンという音が鳴り響いたのは。
さて両頬にそれは真っ赤な花を二輪も咲かせることになってしまった日向。二度の痛みを経てようやく正気に戻ったようだ。その瞳には光が取り戻され、彼は直ぐに状況を理解した。そう直ぐに。自分が絶望の残党の策略にまんまと嵌ってしまったこと、その結果二度も想い人からのえげつない平手打ちを食らう羽目になったこと、そして――その想い人が現在進行形で足を自身の腹部に目掛けて振り下ろさんとしていることを日向は理解した。彼の顔色は一瞬で青ざめ、できる範囲で体を動かし降参の意を示そうとする。
「あ、いや、苗字。待て、待て待て待て、もう俺、正気だから」
「知らない」
まるで地の底を思わせるような低い声の後、容赦ないローキックが日向の腹に直撃する。悶絶する彼のくぐもった悲鳴を耳に、七海は生まれて初めて生きた人間に合掌をした。