対向車線のまぼろし

 髪を弄る。長くて、明るい髪。短くて暗い色をしていた私の髪とは大違いだ。
 違う。もう私じゃない。アタシなんだ。まだ慣れないけどちゃんとやらないといけない。盾子ちゃんの指示通り、超高校級のギャルに私はなりきらないといけない。
「あ、江ノ島さん。えーっと江ノ島さんは……、超高校級のギャル、なんだよね」
 苗字さんが恐る恐るといった感じで話しかけて来る。彼女からしたら江ノ島盾子はついこの間会ったばかりのクラスメイトだ。私は楽しそうに本の感想を語る彼女をしっかりと覚えているが、今の彼女にそんな記憶はもう無い。私と盾子ちゃんが彼女から記憶を奪ったから。私のことを本の主人公のようなかっこいい女の子だと褒めてくれたあの彼女はもう居ないのだ。……少しだけ胸が痛む。
「そーよ。アンタも苗木みたいに、雑誌と顔が違うって言ったら怒るからね」
「そんなこと言わないよ! あのね、私、今まではギャルの子とは全然関わりがなかったから。江ノ島さんってどんな子なのかなって、ちょっと気になってて」
「ならじっくり見ちゃいなって! ギャルの中のギャル、超高校級のギャルのアタシをこんな間近で見られるなんてこの上なく喜ばしいことなんだからさ!」
 言葉を間違えないように。一つ一つを丁寧に選びながら、不審がられないように。超高校級のギャルってきっとこんな感じ。軍人だった私を殺して、あの子になりきらないと。
「あはは、そう言われると確かに恵まれてるのかもね。……こんな、状況下だけど」
 苗字さんはこの学園に来てから体育館で言われたモノクマの発言を思い出したのだろうか。少しだけ目を伏せる。
「なら、アタシのカワイイ顔見てこんなつまんねー学園の気晴らしにしなよ! ……でもまあ、ここってば何もなくて気が落ち込んじゃうのも分かるけどね。なんか楽しいこととか、時間潰せることとかあればいいのに。暇すぎて死にそう」
「あ……。それなら読書とか……どう、かな?」
 私の発言に彼女が食いついた。苗字さんは一見おとなしそうに見えるが、その内面はずいぶんと積極的だ。昔、私に本を勧めてくれた時もグイグイと来たのを覚えている。元来の性格か、記憶を失ってもそこは変わらないみたいだ。
「本を読んでたら時間の経過とか忘れちゃうし。結構良いと思うけど、どう?」
「ハァ? なにそれ、読書なんてつまんないじゃん。そんな陰キャみたいなこと、なんでアタシがやんなきゃなんないのよ。キモすぎ」
 でもそれを私はバッサリと切った。途端、彼女はしゅんとして「……そうだよね。人によって合う合わないはあるから、仕方ないよね……。ごめん」と頭を下げてしまう。
 正しいことをした。私は正しいはずだ。だってギャルならきっとこう言う。読書なんて興味も示さない、ギャルとして正しい行動を私はしたはずだ。なのになんでこんなに胸が痛いんだろう。
「もっと他にやれることあればいいのにね。一生をこの学園で過ごせって言うなら、時間潰しに使える物くらい用意してほしいよね!」
 無理して笑う苗字さん。自分の好きなことを否定されたら誰だって辛いはずだ。なのに酷いことを言ったアタシに合わせてくれる。私は彼女を陰キャなんて称せるようなギャルじゃないのに。本当の私は冴えない軍人だ。今の私は盾子ちゃんの模倣品だ。盾子ちゃんの計画に軍人の私は不要だったから、ギャルのふりをしているだけで。なのに、そんな冴えない軍人わたしを主人公のようだと称してくれたかつての彼女が、どうしてか目の前の彼女と重なる。私は思わず口を開いていた。
「でもさぁ」
「うん?」
「この先、ほんっとうになんもなくて、やること何もないってなったら、本読んでみるのも……、アリかもね」
 彼女のその顔に少しだけ明るさが戻った。
「本当になんもなかったらよ。他に暇潰せそうなことあるならそっち優先だから。読書なんて二の次よ二の次。暇を潰すための選択肢の一つでしかないし」
「そうだね、そういうのでいいと思うよ読書って。人が無理強いするものじゃないんだし。……もし読みたいって思ったらいつでも言ってね。江ノ島さんが好きそうな本、探してみる」
 すっかり調子を戻したらしい彼女が自信満々にそう言った。その姿に思わず笑みが零れる。いつか、苗字さんが私のために探してくれるかもしれない本はいったいどんな本になるんだろう。ちょっと楽しみに思う。
「簡単に読めるやつにしてよー? アタシ、本なんて読み慣れてないんだから」
「任せて。江ノ島さんも楽しめるような本、絶対見つけとくから!」
「お、言ったね? アタシ期待してっからね。絶対見つけといてよー?」
 苗字さんが照れくさそうに笑う。「江ノ島さんが、そう言ってくれるなんて思わなかったな」と笑う顔は私がいつか見た彼女の笑顔と同じ笑みだった。
 たぶんこれはギャルとしては正しくない。でも少し心が楽になった。盾子ちゃんみたいなギャルになりきるのを忘れた、私の我儘。でもこの我儘を通しても良いのなら。また貴方の勧めてくれた本が読めるなら。その時は今度こそ一緒に感想を言い合えるといいな。

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