
夏休みのある日。その日ちょっとした用事で遠出した。電車にのって私たちの住む街の外へ。まあ、用事と言っても簡単なもので、すぐに終わったから私はそのままそこでショッピングやら観光やら遊んでみることにした。そこまで遅くならなければいいだろう。そんな面持ちで私は遠出を楽しむ。ちゃんと直帰していたなら、あんな出来事に巻き込まれなかったかもしれないのに。
タタンタタンという規則正しい音で目が覚めた。寝ぼけた頭で辺りを見渡せば、電車の窓の外は黒く塗りつぶされていた。バッグからスマホを取り出して確認すれば18時35分。私が電車に乗ったのは18時頃だったから、電車に乗っていればこのくらいの時間になるだろう。スマホをしまってどっかりと背もたれに凭れ掛かる。今日は珍しく座席に座ることができたのだ。
タタンタタンと電車は音を鳴らして走り続ける。暇だったのだけど再度眠る気も起きず、ぼんやりと揺れるつり革を見つめていた。電車に乗って30分経過している。あと二駅くらい通過すれば私の降りる駅だ。奇跡的に私は寝過ごしはしなかった。
何を見るまでもなくスマホをぼんやりとみつめたり、黒く塗りつぶされてよく見えない景色に目を凝らしてみたり。思いつく限りのことをやっては時間を潰した。そして、時間を潰す方法を思いつけなくなったころ、私は異変に気が付いた。
電車が止まる気配がないのだ。
私が起きてから既に10分近くは経過している。自分の知っている路線なら、5分、長くても7,8分くらいで次の駅に着くはずなのに、この電車は10分も走り続けて駅に辿り着く気配はない。本当は自分が寝過ごしたのではないかと思ったが、先ほどの時計を信じるなら寝過ごしたとも言い難い。よく分からない。
そして二つ目に乗客。見渡す限り見える乗客全員が寝ているのだ。といってもこの車両には自分含めても10人ほどしか居なかったけど、その全てが寝ていた。そう言う事もあるんじゃないかとは思ったけど、18時35分。まだ夜と言っても早いだろうこの時間に、乗客全員が寝るなんてこと、あり得るんだろうか。
ちょうどその時、バッグに手が当たってしまう。どすん! 重そうな音を立てて落ちたバッグを私は慌てて拾う。そして拾うついでに隣でぐっすりと眠っている人を見つめた。まあまあ大き目の音が隣で起きたのに、その人はまだ夢の世界だ。まあ寝起きが悪いと言われればそれまでのことだけど、気味の悪さを覚えていた私は、何もかもが怖くなって、バッグを拾って立ち上がる。コツコツと歩いては電車のドアの前に。いつ開くか分からなかったけど、ドアが開いたらすぐ出ていけるように。こんな電車からは早く降りたかった。
「次は、……らぎ駅。次……駅。お降りの方は、」
その時、音声が電車内に響き渡った。その声は聞き取れないほどノイズ交じりで、実際私は駅名を聞き取れなかったのだけど、別に良かった。さっさとこんな電車から降りて、乗り換えたい。ドアの前に設置された手すりを痛いくらいに握る。電車の外の風景は少しずつその速度を落としていた。
プシュッと音がしてドアが開く。私は勢いに任せて電車から降りれば、電車は今から乗ろうとする人を無視するかのようにドアを一瞬で閉めた。いや乗る人はいなかったから良かったのかもしれないけど。ドアを閉めた電車はすぐに走り去っていく。異様だった。あまりに異様な電車は過ぎ去っていく。
知らないうちに怪奇に巻き込まれでもしていたのだろうか。私は駅のベンチを見つけて座る。もしあの電車に乗り続けていたら、黄泉につれていかれて……。そこまで考えて体をぶるりと震わせた。もう降りたんだから、関係のない話だ。さっさと帰って狛枝君のお土産話にでもしてあげよう。
十分。二十分。二十五分。時間だけが過ぎていった。
電車を待つ間に私はキョロキョロと駅を探索していた。この駅はきさらぎ駅という名前であること。無人駅ということ。がらんどうとしたこの駅にはきさらぎ駅という名前を掲げた看板と、三人がけのベンチと、その二つをぽつんと照らす電灯が一つだけあるということだった。
私はベンチに腰掛けてから組んでいた足の膝上で人差し指をトントンと叩く。
遅い。何分待っても電車は来なかった。体感三十分は過ぎただろうか。この路線なら三十分もあれば一本は電車が来てもおかしくない筈なのに。そう思って私はこの駅を再度見渡して、そして駅にあって当たり前のものが無いことに気が付いた。
時刻表がないのだ。
サァっと血の気が引いた気がした。時刻表が、ない。ということは来るはずの電車が次にいつ来るのかもわからない。そもそも電車は来るのか? 不安が心の中で渦巻く。ガクガクと膝が震えて、つられてその上にある手も震えた。
怪奇から逃げ出したと思ったのに、怪奇に飛び込んでしまったのではないか。
悪い予感がした。まだ暑い季節、じわりじわりとまとわりつく熱気が気持ちが悪い。その熱気は手元からだんだん上がってきて、首元までたどり着く。まとわりつく熱気が少しずつ、でも確実に首を締めあげていくような気がしてうまく息が吸えない。何かが自分の後ろで首を締めあげているかのようだ。幻覚だ。そうわかっているはずなのに、「いるかもしれない」という思考が頭の中を侵食していった。
プルルル……。
「ひゃっ!?」
唐突な音に悲鳴を上げてしまう。バクバクとした心臓を押さえつけながら、音の出所を見れば自分のスマホだった。驚いた拍子に飛び去ったのか、何かがいるかもしれないという謎の感触は無くなっていた。ホッと一息を着いてスマホを見る。そしてまた息を呑んだ。
着信画面が文字化けしていたのだ。