
狭い世界、臆病者が二人
海からの潮風が私の髪を揺らす。シンオウの中でもまだ温暖で、海が特徴的なナギサ。ここの海はよく見慣れたものだけれど、遠くの南国ともいわれるアローラやホウエンの海もこの海と同じようなものなのだろうか。まだ見ぬ土地を夢想して目を閉じる。また潮風が私の髪を揺らす。生まれてから今まで、私を包んできたこの潮風が。「またここに居んのな」
「デンジ」
じゃり、と土の踏む音と共にデンジが後ろから近づいてきていた。
「またジムいじりで停電でもさせたの?」
「今回はやってねーよ」
「どうだか」
こうやって憎まれ口を叩くのも慣れたものだ。昔からデンジとオーバと三人。私たちはこうやってこのナギサで生きてきた。
デンジが私の隣に立ち、塀に凭れ掛かる。潮風がデンジの金髪を、青いジャケットを軽く揺らした。
「ほんと、昔からかわんねーよ。ここは。なにもねーし、なにもおもしろくもねーし」
「知らないうちに変わってたら怖いわよ」
「そうだな」
デンジはそう言って口を閉じた。私もつられて口を閉じる。お互いが口を閉ざし、奇妙な沈黙が流れた。その沈黙がなんだか居心地が悪いものに感じられて、私は話題を探すように口を開いた。
「デンジはなんでここに来たの」
「お前だってそうだろ。なんでここに来てんだよ」
「私は……、別にいいでしょ」
「じゃあ俺だっていいだろ」
ぶっきらぼうに吐かれた言葉に私は再び閉口する。
私がここに来た理由。決まっている。海が見えるからだ。ナギサの建物を何も目に写さないまま、ただ広々とした青い青い海を、その水平線を見ることができる場所。私が、ナギサを気にすることの無く、水平線の向こうにある他の土地を夢想できる唯一の場所だからだ。
だから、ナギサのジムリーダーであり、ナギサの象徴ともいえるデンジがここに来るのは、私にとっては不服だった。私がまるでこのナギサから一生出られない、そんな気がして。
「帰るわ」
「ん」
塀に凭れ掛かったままのデンジは手をあげる。私はそれを見て歩き出した。海に背を向け、目に入るのはナギサの街並み。私が生まれて今までを過ごしてきた街。私が出られない街。いつか私が出たい街。
「」
背中越しにデンジの声がかかる。何かと思って振り向けば、デンジの真剣な瞳が私を貫いていた。
「お前は変わんなよ」
海のような青の瞳が告げる。私の憧れるその青が、ナギサの象徴として私に言うのだから。私はその青に囚われるしかなかったのだ。
「当たり前でしょ。ずっとここにいるんだから。これからも変わんないわよ」
「そうか」
デンジはそうして顔を反らした。その青はもうこちらを向いていない。ようやく呪縛が解けたような気がして、私は再度歩き出す。ここからでたい。その思いがきっと叶わないことを知りながら。
「知らないうちに変わっていたら怖い、か」
一人だけのその場所で、男は海の向こうを憎々しげに見つめる。
本当は知っていた。幼馴染がこの街から逃げ出したいことも、昔からずっと一緒だった幼馴染という枠組みから彼女が抜け出そうとしていることも。
「俺だって怖いよ」
男は呟く。その言葉は誰に聞かれることもなく、海に吸い込まれて消えた。