
花火大会は恋人達の巣窟
夜になり、朝には通勤で人が賑わっていた道路は今は違う目的で集まった人たちで賑わう。
そんな中、苗木は隣にいるの存在を気にしながら歩く。
「人多いね。大丈夫?」
「うん。ちょっと慣れないけど、平気。ありがとう苗木くん」
彼女が慣れないというのは、今彼女が着ている浴衣のことだった。下駄が歩きなれないのか、何時もよりの歩く速さは遅い。
何故彼女が慣れない浴衣を着ているのかといえば、舞園が原因であった。元はと言えば、苗木とが一緒に夏祭りに行くことになったも理由も舞園なのだ。舞園は親友であると中学校からの付き合いである苗木の仲がなかなか進展していなかったことに業を煮やしていたらしく、二人に夏祭りにいく約束を取り付けた。勿論、が浴衣を着ることが前提条件であったのは云うまでもない。苗木も、彼女を夏祭りに誘おうとは思っていたのだが、いかんせん浴衣を着てもらうという発想はなかった。彼は私服で行くつもりだったので、彼女の着る浴衣と釣り合うとは到底思えなかったし、何よりも好きな子の浴衣姿で自分の心臓が破裂してしまうのではないかと、本気にそう思っていた。
しかし、浴衣を恥ずかしながら着こなすの姿を見れば、そんな考えは全て吹っ飛んだ。浴衣は本当によく似合っていた。だが、綺麗だとは付き合ってもすらいないのに言うのは気が引けてしまう。自分のヘタレさが恨めしい。
因みに彼女の着付けは霧切がしたらしく、どうやら舞園のみならず彼女までもグルになっていたらしい。二人に嵌められて苗木は今に至るのだ。いやむしろ、嵌められてグッジョブだというのだから複雑だ。
そんな苗木を嵌めた二人は先程見えた射的の屋台で楽しそうにはしゃいでいるのが見えた。嵌められたのは悔しかったが、楽しそうにしているのを見て怒る気も失せた。なんせ今日は夏祭りで、楽しんでいる最中に水を差すのも悪いとも思ったのもある。
苗木はに視線を移す。彼女の目線はじっと一つの屋台に向けられていた。
「焼きそば食べたいの?」
聞けばの顔は恥ずかしそうに頬を染め、小声で「うん」と首肯した。言ってくれたら良いのにと思ったが、同時に素直には云えないという彼女のいじらしさを感じ、可愛らしく思う。
苗木とは焼きそばの屋台へと歩く。途中、が鞄から財布を取り出そうとしたが、苗木は遮って自分の鞄から財布を出した。彼女に支払わせるなんてできなかった。
「あの、焼きそば一つお願いします」
「焼きそば一つね!」
「苗木君はいいの?」
「ボクは大丈夫。そんなにお腹へって無いから」
「そっか」
そう言うとは作られている最中の焼きそばを見始めた。じゅうじゅうと焼かれる音がして、ソースの匂いも美味しそうに食欲をそそらせる。熱が伝わり、出来上がっていく焼きそばを見るうちに少しお腹が減る。やっぱり頼めば良かったと少し後悔するが、時すでに遅く、とんとん拍子に焼きそばは出来上がり、プラスチックでできた箱に包まれての手に渡されていた。
「ハイ焼きそば一つ、120円ね」
「…やっぱり、私払うよ?」
「良いよ、120円くらい」
「む…..」
やはり納得はいかないのか、少し膨れる。
「えっとさ、流石にここくらいはボクに任せて欲しいな」
「う、苗木君がそう言うなら…」
本当は自分が払いたかったのかもしれないが、はしぶしぶ引く。
それを見ていた焼きそば屋の店主が朗らかに笑いながら言った。
「良かったじゃあねぇか、嬢ちゃん!いい彼氏さんに恵まれてよぉ!」
「えっ」
思わず、言葉が出た。顔に熱が集中するのがわかる。さんとボクがカップルに見えてるのかな。本当はそうじゃないけど、そう見えてるならうれしいな。
平常心、平常心と念じつつ、ぎこちなくお金を払う。さん、ボクと恋人同士だと思われてどう思ったんだろ。苗木はを盗み見る。しかし、彼女は別に気にすることなく無反応で、手元の焼きそばを気にしている。店主の言葉に慌てさせられたのは自分一人だけだったのだということに気がついて、苗木の顔は先程とは違う意味で紅潮した。
ボクら付き合ってないです。
苗木はその一言を言えずに誤解されたまま、店主の毎度あり~という言葉を背にして、屋台を後にした。
再び二人は人の行き交う道路へと戻った。人は先程より数を増やし、盛況は更に賑やかになっている。着けてきた腕時計を見れば、時間は既に8時をまわっていた。確か、この祭りのメインである花火はあと少しで始まる筈だ。しかし、この賑わいではきっと人に飲まれて花火を見ることなんて不可能だろうし、何よりも慣れない下駄をはいているの足も心配だ。
「ちょっと移動しようか。焼きそばも冷めないうちに食べなきゃ美味しくないだろうし」
「んー、何処かに座れるところとかないかな。」
がまだ弱音を吐いていないとはいえ、少し彼女の足に負担をかけないようゆっくり目に歩いて、座れるところがないか探す。歩けば歩いていくほど人は少なくなっていく。すると、幸運にも誰にも座られてないベンチを発見した。
二人はベンチに疲れた足を休めさせるために座った。ここなら人も少なく、花火も良く見えそうだ。はよほどおなかがすいていたのか、焼きそばを高速で取り出すと、パクパク食べ出した。なんだか微笑ましくて苗木は微笑む。すると同時に苗木のお腹が鳴った。
「やっぱり苗木君お腹が減ってたんじゃ…」
「い、い、いや、別に大丈夫、大丈夫! お腹へってないよ」
「お腹鳴らせておいてそれはないよー、ほら! 半分こしよ!」
先程お金を払わせてくれなかった事への仕返しなのか、こればっかりはは譲らなかった。当初断っていた苗木も次第に折れて、割りばしを一本貰って焼きそばを食べ始めた。おいしい。少し冷めてしまったが、それでも焼きそばのソースの絡み具合などがとても美味しかった。
一つの焼きそばを二人で食べながら花火が上がるのを待った。焼きそばが食べ終わった頃、一つ目の花火が夜空に浮かび上がった。二つ目、三つ目。絶え間なく花火は夜空を美しく彩る。
「ね、ねぇ、さん」
「どうしたの、苗木君」
「あ、あの、あのさ」
激しくどもる自分を恨めしく思いながらも言葉を紡いだ。せっかく舞園さんたちにお膳立てしてもらったんだ。伝えるのなら今しかない!
「えっと、…さっきは誤解されちゃったから、迷惑だったかもしれないし謝ろうって思って…」
何でこのムードで謝る方へと持っていったんだ!!心のなかでそう叫ぶも既に遅く、も先ほどまでに苗木と合わせていた目線をそらした。前髪で顔が隠れ、苗木は怒らせたのではと危惧する。そう思ったが、彼女からは落ち着いた声が聞こえた。
「私…別に迷惑だなんて思ってないよ」
「やっぱりそうだよね…って、え?」
「…ほんとはね、その、嬉しかった。苗木君とそんな風に、恋人みたいに見えてたんだって思うと…」
は一拍置く。
「あの時、余りにも嬉しくて、顔上げられなったの」
きっと変な顔しちゃってたから。と少しずつ尻すぼみしていく声を聴いて、苗木はなんともいわれない幸福感に包まれる。はそっと顔をあげて、苗木と目線を合わせる。花火が上がり、その顔をうっすらと赤く染めた。しかし、それ以前に既に彼女の顔と耳はほんのりと赤く染まっていた。
少し潤んだ目は確かに苗木のことを映している。美しい顔に苗木は一瞬見とれ、そしてもう一度口を開く。
「さん」
「…うん」
「ボクは、キミのことが」
本日数度目の花火が上がった。