先立たないものですよ後悔ってやつは

 さんが死んだ。自殺だった。彼女は桜の木で首を吊っているのが発見された。霧切さんの死以来となる学級裁判はさん自身が記した遺書と全員のアリバイにより盛り上がりもなく葬式のように静かに終わった。
 ボクは彼女が死んだ弓道場へ向かう。これからは彼女は居ない5人で学園生活を生き抜いていかないといけない。
そんな決意を固めていたのに。いつの間にかボクの隣にはふよふよと宙に浮かぶさんがいた。
 幽霊なの?と聞けばさぁ。と曖昧に誤魔化される。生きているはずがない。だって首を吊る彼女を最初に見つけたのはボクだったのだ。足が地面から離れ、木の枝に繋がる紐に全体重を任せて揺れていたさん。それを見たボクは半狂乱のように彼女を下ろそうと躍起になって。そこまで思い出して吐き気に襲われる。口を抑えて蹲るボクにトラウマなら無理に思い出さない方が良いよと助言するさん。無理言うよ。キミのことだっていうのに。

 さんがボクの後ろに漂い始めてからしばらく。彼女は何をするまでもなくただそこに居続けていた。彼女が壁や有機物を貫通したり、ボク以外の誰にも見えていないことはもう慣れた。取り憑かれているというのは今の状況なのかもしれない。慣れてしまったこの異常にため息を吐けば、さんの哀れみの目を受けた。なんだか理不尽だ。
 こんな生活に慣れてきたボクはある時、彼女に「どうして死んだの」と聞いたことがあった。彼女はただ「遺書。書いてたでしょ」としか返さなかった。ボクは遺書を読んでいない。読めなかったという方が正しい。だからボクは彼女が死んだ理由を知らない。彼女に聞いても遺書に書いているからと言って答えてくれることも無い。でも、これは、彼女が答えなかったのは、ボクが『知らなかった』からでは無いのだろうか。
―ボクは今。本当は途轍もなく惨めなのではないか。
「ボク思うんだ」
 声は掠れていて。本当に声として発せられたのか不思議に思うほど小さい声だった。それでもちゃんと耳に拾ってくれていたのかさんは無言で続きを促すように視線をボクに向けていた。
「本当はキミは幽霊なんかじゃなくて、ボクが見てる妄想の産物なんじゃないかって」
 もし。これが本当なのだとしたら。ボクは。ボクは。
さんの声が響く。ボクの思考はその声に止められる。私には分からないやと笑う彼女。ごめんねと微笑む姿がなんだかあまりに虚しくてボクは目を逸らした。結局否定はしてくれないんだね。

 それから数日。彼女は姿を消していた。成仏、してしまったのだろうか。それにしては成仏するための未練だとかそんなものを果たした様には見えなかったけれど。考えながら歩く。階段を上る。目的地は最上階だから少し疲れてしまうがそれでも歩みを止めない。
 ボクが立ち止まった先は弓道場のドアだった。ドアに手をかけようとして止める。ボクは、この先に進めるのだろうか。ボクが彼女を見るようになった最初のきっかけの場所。……彼女が死んだ場所。幽霊になったさんが姿を消してから意図的にここにだけは来なかった。ここにもし居なかったら現実に押し潰されてしまう気がして。震える手を何とか止めてドアを開く。現実に押し潰されてしまう恐怖はある。それでもボクは現実と向き合わなくてはならないのだから。
 結論から言うと彼女はそこにいた。首を吊った木の根元に彼女は座り込んでいて、ボクの姿を見るとよく来たねと軽く微笑んだ。ボクは笑い返せなかった。
 薄く後ろの景色が彼女越しに見える。彼女はもう死んだ。ボクが認めてしまうのが怖かっただけだ。キミが死んだなんて認めてしまえばボクが壊れてしまう気がして。だって、ボクはまだキミに伝えてないことが沢山あったんだから。
「ボクさ、キミのこと好きだったんだ」
 その言葉にさんは視線をさ迷わせる。そして目を閉じ、息を吐いた。
「…………それ、生きてるうちに聞きたかったな」
「ボクも。……キミが生きてるうちに言いたかった」
 こんな薄くぼんやりとしたキミにじゃなくて。触れば温かさが返ってくるキミに言いたかったんだ。
長い沈黙のあと、彼女は死ぬんじゃなかったな。と寂しそうに呟いては消えてしまった。
 それきりだった。
 彼女は二度とボクの目の前に姿を表さなかった。