
アイラブユーには遅すぎる
東京が死んでからみんなは変わった。
千晶ちゃんは力を求めるだけの存在になってしまったし、勇くんは他者との関わりを極端に嫌うようになった。先生は二人のようにはなっていないけれど、宣う願望とその行動が矛盾を孕んでいて信用出来ない。
私と一緒に居てくれるシンだって変わってしまった。ううん、彼が一番変わってしまったのかもしれない。体中には緑に光る線が走り、何より人間では無くなってしまった。
それでもシンは昔のように変わらない笑みを私に向けてくれる。だけど、本当はその笑顔も無理して作り上げていることを私は知っている。だって戦闘中の彼は勝利に喜ぶことも、理不尽な痛みに悲しむこともめっきり減ってきたのだから。私と話す時はまだ残る人間性を惜しみなく出してくれるけど、きっと本当はもう彼にはかつての人間らしさというものは風前の灯のように消えかけているのだろう。
シンはいつか本当に悪魔になってしまうのだろうか。そう考えると体の芯から全身が冷えていくような感じがして怖くなる。
完全に悪魔になったシンにとって私はいらない子だと思った。私なんてただのお荷物で、彼の負担の一部にしか過ぎない。邪魔な物を見るような目で私を見るシンを想像してはすぐに消した。そんな目で見ないでと泣きたくなるのに、そんな資格が無いことを自分はよく知っている。
彼にとって私はいらない子なのだから。
戦闘も何も無くて、守られるだけの存在。ただ、彼に残る優しさから生かされてるだけに過ぎない存在。それはこの世界で戦うシンにとっては役立たずな重荷でしかない。
それを自覚した瞬間、胸の中を嫌悪感という文字が埋めつくして気持ちが悪い。ごめんね、シン。何も出来ない私を許して。
震える手で握った彼の手。あまり体温を感じなくなってしまったけれど、私の手を優しく握り返してくれる。私の震えを止めてくれるかのように「どうしたんだ」なんて言って優しく微笑んでくれたけれど、その笑みはどこか作られたようにぎこちない。溜息混じりに嗚呼、と小さく零す。ごめんなさい、シン。あなたにそんな笑顔をさせたかったわけじゃない。
私の無力がこんなにも恨めしい。
カグツチの光は衰えることを知らず、夜なんて来ない。だけど夜が来なくても、睡眠を必要とする身体の──人間の私の為にシンは寝るための時間を旅の途中に幾度も割いてくれていた。自分が寝る必要がないにも関わらず。
私の隣でシンは目を閉じて眠っている。規則正しい彼の寝息を聞きながら、私はこっそりと寝所から抜け出して、最低限の支度を整える。そして最後、あとは出発するだけという時になって、彼の最後の姿を目に焼きつけた。
この行為が今まで自分を守ろうとしてくれた彼への裏切りだということは自分がよく分かっている。なのに、我儘なことに目の前が歪み始めては止まらない。
「ごめんね」
そう呟いて私は彼から離れていく。
ごめんなさい、何度言ってもこの言葉だけは足りないだろう。でも、これ以上彼の重荷になるのは耐え難いから。私を守って必要以上に傷付く彼をもう見たくなかったから。
遠ざかる彼の姿に涙を零しそうになりながら、必死に唇を噛む。涙を零すような権利なんて私には無い。彼に黙って離れていく私に涙を流す権利なんて、何処にも。
あのね、シン。私はね、何も変わりたくなんてなかった。何も変わっていってほしくなんてなかった。シンにも、千晶ちゃんたちにも、世界にも。昔のまま、一緒に進路に悩んで、ぐだぐだした学生生活を送って、そんな日常が続いて欲しかった。
でも世界は残酷で、変化を私たちにもたらしていく。みんなも適応するかのようにどんどん変わっていく。その急激な変化に私はもうついていけなかった。一人置いていかれて、立ち上がることも出来ない。唯一私に歩幅を合わせようとしてくれた貴方にさえ追いつくことすら出来なかった。
そんな私にきっと、貴方と一緒にいられる居場所なんてもう無い。ううん、最初からなかったんだと思う。
ごめんね、シン。私、貴方の足を引っ張り続けてた。シンにこれ以上変わって欲しくない、置いてかないで欲しいなんて泣いて、自分勝手に貴方の道を塞いだ。だけどもうそれもやめるから。これからはシンのやりたいように生きてね。
さよなら。大好きだったよ。
そんな言葉、もう言えないけれど。
「色々と……。お互い変わっちゃったな」
目の前の神は人修羅に何も言わなかった。それは『不変』を望むが故か、軸になっている少女が人修羅に攻撃の意思が無いからか。人修羅には分からない。
あれほど不変を望んでいた彼女は神に転じてしまった。それが酷い皮肉だと人修羅は思う。そしてそれを止められなかった事実が人修羅の胸を痛々しく貫いた。
人修羅は不変を望まない。これからも変わっていきたいと思うことが沢山あるからだ。だから、人修羅はこの神を否定して、殺さなければならない。
しかし、人修羅はそんな神に膝を着く。腰を下ろして、愛しい者を見る眼差しで神に微笑んだ。
「そんなに変わりたくなかったのか? 本当に? 何も?」
親しい友人に話すように、人修羅は話す。寂しい笑いが彼の口元を歪ませた。
「俺はね、お前と一緒に変わっていきたかったよ。一緒に生きて、歳をとって、一緒に死にたかったんだ。……なあ、変わるのってそんなにダメか? お前が年老いて変わってく姿だって……、俺は……、一番間近で……一緒に……」
最後の方は声にならなかった。頬を伝う涙と共に喉がしゃくりあげては声を成さない。
人修羅は変わっていきたかった。
一緒に育った少女。同じくらい小さかった彼女が少しずつ大人に近づいていく姿。その成長に置いていかれないように、共に同じ速度で変わっていけるのが何よりも嬉しかった。
姿だけじゃない。彼女との関係性だって、変わって行きたいと人修羅はずっと思っていた。でも言わなかった。いつか言える時が来るだろうなんて思ってずっと言わなかった。だから逃した。そしてそれは永久に失われた。気がついた時には、この言葉を言うにはあまりに遅すぎた。
好きだ。ただ三文字の簡単な言葉だったのに、どうして逃してしまったのだろう。それを悔いるにも人修羅は遅すぎたのだけれども。
「ごめんな」
そう言って拳を振り上げる。
きっと彼女は許してくれないだろうと人修羅は自嘲した。だって変わらないことを望んだ彼女にとって、何よりも変わってしまっていたのは自分だったのだから。