大人になれない系おとなたち

 部屋に入った日向は気づく。先ほどまでカリカリと忙しそうに手を動かしていたはずのがちょっと日向が部屋を離れていた隙に、いつの間にか机に突っ伏す様な形でぐっすりと夢の世界に旅立っていたことに。

 今日の講義が全て終わったと同時に、「徹夜で勉強して根を詰めるから」と泣きついてきていたのを思い出す。あんなに必死で帰宅とほぼ同時にテスト勉強の道具一式を持ち込んで勉強会をすると(半ば彼女の一方的に)決めていた筈なのに、やはり迫る眠気に勝てなかったのか。自分の腕を枕にする形ですうすうと寝ている。
 日向は彼女の隣に座り込んで「起きろ」と声を掛けるが、起きない。肩を軽く揺するが、起きない。日向は軽く息をついて肩を竦める。全く起きる気配がない。人差し指で彼女の頬を軽く突いてみるが、やはり起きなかった。なんだか少しだけ楽しくなってきて何度も何度も起きない程度に頬をつつく。強度によってぷにぷにとその表面を沈ませては弾力があるのが妙に癖になる。
「あ」
 つんつんつん、と無心で頬を触っていたつもりが、ふとした瞬間に寝ている彼女が身じろぎをしたことで指が頬からズレてしまい唇の端の方に触れる。ふにゃり、という頬と同じくらいの柔らかさのはずの──しかし、妙に胸が高鳴る感触に日向の指が止まる。途端に先程までしていた行為が恥ずかしくなってきてしまって、日向は出していた指をギクシャクとまるで自分の指ではないように感じた。
 人差し指には未だに先程の感触が残ってしまっていて、なんだかいたたまれない気持ちだ。人差し指を残りの指のように折り曲げて握り拳を作ると、もう片方の手でその拳を包むようにから咄嗟に隠すようにしてしまう。胸が騒いで、漏らす息が静かな部屋の中で一番大きな音を立てている気がしては、謎の緊張感に襲われた。
 そんな日向のことなんて知らず、安らかな寝息を立てては夢の世界に旅立っている。日向は少しの時間を経て、が自分なんて全く気にすることもなく安眠していることにようやく気が付いた彼は、ホッと溜息を零していつの間にか上がっていた肩を静かにおろす。
「ハァ……。布団、用意するか」
 何と無しに呟いては腰を上げて席を立った。
 寝ているは起こさないようにベッドにでも運んで、自分は床にでも寝よう。
 そう思って抱き上げた彼女の体は軽くて柔らかくて、あの唇の感触を思い出しそうになって――そんな風に思っては首を振って邪念を振り払う。はただ、ここに勉強に来て寝落ちてしまっただけだ。それ以上でもそれ以外でも何でもないのだから。俺が期待するようなことは何も、無いのだから。
 眠るをそっとベッドに降ろして肩まで布団をかけてやる。ああ、そうだ、自分用の布団を出さないといけない。どこに仕舞ったかな。
「おやすみ、
 そう呟いた日向は踵を返して部屋を出ていく。後に残ったのは、日向によって電気の消えた部屋と少し不規則な寝息だけ。

 全てが真っ暗になった部屋の中、ぱちりと開いた二つの目。寝息と違う、深く息を吸う音だけが部屋に響く。
「いくじなし」
 不満げに呟かれた声は誰に聞かれることもなく暗闇に溶ける。
「……いくじなし」
 その言葉は誰に向けられた言葉か。結局何もしてこなかった日向か、狸寝入りという卑怯な手に及んだ自分か。
「ばーか」
 は身じろぎして布団に潜り込む。開いたその目を閉じて、そして今度こそ暗闇の中で動くものは何もなくなった。