もう逃がさないって微笑んで

 唐突に行われた七十八期生の同窓会。みんなそれぞれの仕事が忙しいはずなのに誰一人として欠けることなく集まったのはあの頃が懐かしいからなのか。かくいうボクもきちんと同窓会に来た一人で、慣れない酒をちびちびと端っこで飲みながら同窓会を過ごしていた。
「隣、良い?」
 そうやって声を掛けてきたのは飲みかけのグラスを持つさんで。彼女は開始直後から結構飲んでたように思っていたけれど、その顔は素面の時と全く変わり映えがない。お酒に強いんだろうか。卒業後、初めて知る彼女の側面だった。
「良いけど、さっきまで向こうで飲んでたんじゃないの?」
「ああ、それ。全員潰してきた」
 にっこりと笑うさん。彼女が指差した先は彼女と一緒に飲んでいたはずの面々が大の字になってグーグー寝ているのが見えた。戦刃さんが江ノ島さんを介抱していたり、舞園さんと霧切さんが一緒になって飲んでいたり。飲み比べに積極的だった大和田クンや桑田クンが酔いつぶれたことで、みんなそれぞれで飲み始めたようだ。凄いな、さん……と半ば呆れのような尊敬のような中途半端な感想を抱きつつ、さんがボクの所までやってきたのに納得がいく。
 隣良いかと聞いて来たように、彼女はそっとボクの隣に座る。座った時に彼女からふんわりとお酒の匂いがして、あんまりお酒に強くないボクは頭がくらくらするような感覚を覚えた。
「苗木君さ、会うの久しぶりだよね」
 さんがお酒を片手で弄びながら言う。お酒を飲んで、グラスを揺らして、その口角は上がっている。それが魅力的に見えてボクは喉を鳴らす。いけない、酒が回ってきているのかもしれない。
「そう、かな」
「うん。卒業してから全然会ってないよ。今日が初じゃない?」
「まあ、お互いの大学もあるし」
「それはそうだね」
 そう言ってさんはグラスの中身を飲み干した。空になったグラスを見つめて、物欲しげな目線を向けている。まだ飲めるなんてすごいなあ、なんてボクは思いながら手元のグラスを少しだけ傾ける。アルコール独特の味が喉を焼いていく。
「そんな会ってなかったのに、なんだかんだでこうやって集まっちゃうのは、恋しいからなのかな」
 ボクは顔を上げる。さんは飲み干したグラスと新しくお酒が入ったグラスを交換している。
さんは恋しいの?」「どうだろ。でもここに来てるってのはそうなのかもね」一口、グラスに口を付けてさんは笑った。「苗木君は?」「え?」「苗木君は恋しくなかったの?」そういって微笑みかける彼女は酷く煽情的だ。そう思うのはボクだけかもしれないけど。ボクはお酒を飲みながら考える。「……恋しくない、って言ったら嘘かもしれない」「どうして?」「だってボク、さんに会いたいって、ホントはずっとそう思ってたんだ」さんが息を呑む音が聞こえた。
 同窓会に来たのだって、行けば会えるんじゃないかって下心があったからだ。同じ都内の大学に通っていながら、別大学に進学したボクらは結局今日まで会うことが無かった。舞園さんや霧切さんみたいにプライベートで会う約束をするほどボクらは連絡を取り合うほどの仲でもない。だから、今日、ようやくこうやって彼女と会うのに恋焦がれていた、ともいえる。
「……お酒回ってるんじゃない?」
 さんが眉をひそめて言った。
「そうかも」お酒が無かったらこんなこと言えやしないよ。「さんは、信じてくれないの?」
「そんな顔真っ赤にしてる酔っ払いの言葉は、信用できないものの一つだよ」
 私が言えたことじゃないけど、とさんはまだ中身の残るグラスをゆらゆら揺らしながら言った。
 ――ズルい。そっちから聞いて来たクセに、ボクが答えるとお酒のせいにしてのらりくらりと逃げていく。いつの間にそんなズルい大人になってしまったんだろう。自分だけ綺麗に逃げ切って、ボクにはもやもやとしたものだけを残して。そんな逃げ方を覚えないといけない事でもあったんだろうか、と考えるとチクチクと胸が痛む。嫌だ。ボクからは、ボクからだけは逃げないでいてほしい。
 手元にあったお酒を一気に飲んだボクはさんに向き直る。どんどん回っていくアルコールのせいでボクの視界はゆらゆら揺れ始めた。揺れる視界の中、ボクは少し立ち上がってさんに近づく。向こう側の誰かがこっちを見ている気がする。好都合だ、そのまま目撃されて逃げられなくなってしまえば良いのに。
 初めてのキスはほんの少しだけ甘いお酒の味がした。
「苗木、君」
 さんはその顔を赤く染めて自分の唇を触っている。お酒ではなくボクによって染め上げられた頬が見れてとても気分が良い。ふわふわとした高揚感に体中を支配される。
「信じてくれた?」
 そう聞くと、さんはまだ顔を真っ赤にしたままコクコクと頷いてくれた。これで本当に本気で受け取ってくれただろうか。きっと受け取ってくれるだろう。その為にわざわざ人前でキスをしたのだから、もう逃がす気なんてない。テーブルの上で行先が無くただ乗せられていただけの彼女の左手をそっと握りしめる。
「お酒が抜けたら、ちゃんと返事してほしいな」
 その言葉でさんの顔が更に赤くなる。なんだかそれがおかしくって、面白くってボクはくすくすと笑ってしまった。
 慣れないお酒も、こういうのなら悪くはないな。