
恋とはため息と涙で出来ている
まず最初に感じたのは嫉妬だった。
希望のカケラのために修学旅行メンバー全員と満遍なく親しくする彼女の姿に、七海千秋の胸は見るたびに苦しく締め付けられた。でも、どれだけその胸が苦しくても、彼女がふと自分の姿に気が付いて振り返って微笑みかけてくれるだけで、その胸に刺さった棘は溶けるように消える。単純だ、と自分でも思った。だけど、が自分を視界に入れて、わたしのことを考えてくれる、その事実だけで、七海の心はいつだって軽やかに踊った。
この感情の名前が分からないまま、取るもの手に着かず――七海の得意とするゲームでさえ操作が覚束ないものになった頃、ようやく七海はこの感情の答えを得た。それは恋だった。七海はのことが好きなのだとようやく知った。しかし、七海はこんな醜い恋があるものなのかと自分のことながら信じられない面持ちだった。七海の知る恋は創作物にあるような、相手を思いやる美しい恋だった。こんな、相手の行動を制限したいと思うような自分勝手な思いが、いつか知識として得た美しい恋と同じものだとは到底思うことが出来なかったのだ。
一度だけウサミに相談しようかと思ったことがある。しかしそれは出来なかった。ウサミに聞けばこの胸の高鳴りが本当に恋と呼んでいいものなのか、それが分かるかと思ったけれど。でも出来なかった。――怖かった。同性の自分が、何よりも、生きていない――AIにすぎない自分が、先のある彼女の未来を自分の勝手な想いで留めてしまうかもしれないのが、何よりも怖かった。ウサミに相談することで、それを言葉にして、確定してしまうことが恐ろしかったのだ。七海は初めての感情に殊更臆病だったのである。
訪れた修学旅行最後の日。五十日という長いようで短い日にちが過ぎ去った。
七海は肩にかかるリュックサックの紐をぎゅっと握りしめて深く深呼吸をする。島の新鮮な空気が肺へと吸い込まれていく。七海は紐から手を放して自分の頬を両手で軽くぺちんと叩く。
ようやく自分の気持ちに整理がついた。いや、今日までに整理しなければならなかった。だってもう七海はこの五十日間のようにと一緒に過ごすことはできない。手をつなぐことも、抱き合うことも、恋人のようにキスをすることだって。もう触れ合うことができないのは寂しいけれど、の未来を考えれば喜ばしいことなんだとそう自分に言い聞かせて。
「ちゃん」
呼びかけた声は震えていなかっただろうか。「なあに?」といつも通り優しく微笑んで振り返ってくれるの姿に七海は安堵を覚える。
「大好きだよ。ずっと、ずっとこれからも。ちゃんのこと大好き」
七海はと出会ってからのことを想起する。一緒に食べたご飯、お泊りして夜通しプレイしたゲーム。と過ごした思い出、何もかもが大切な思い出だった。
「わたしのこと、忘れないでね」
少しだけ欲を出した。
の未来を奪うことはできない。だけどほんのちょっとだけ、これから先を生きるの記憶に自分のことを留めておいてほしい、と。それだけでよかった。それだけ許してもらえるなら、この恋をあきらめることが出来る。そう思った。
「――どうして、そんなこと言うの?」
どん、と衝撃が七海の胸に走った。だった。が、軽く握りこぶしを作って七海の胸を叩いている。
「酷い、酷いよ、千秋ちゃん。私だって、千秋ちゃんのこと、いっぱいいっぱい大好きなのに」しゃくりあげて、声にならない声を無理矢理言葉にしている、そういう声だった。「想いだけ告げて、それで終わりにしようとしたの?」
嗚咽を零しながら、それでも伝えようとは言葉を紡ぐ。
「それじゃあ、私は、この想いをどうすればいいのかわからなくなっちゃうよ」
顔を上げたはその目から涙を幾つも零していた。涙が落ちていくその足元はプログラムからの退去が始まっているのか、うっすらと半透明になっている。
「……嘘、」
「やだよ、千秋ちゃん、もっとこれからも、一緒に居たいよ」
それが最後の言葉だった。の流した涙は地面に届くよりも先に空気の中で消えていく。
七海は砂浜に力なく腰を落とす。ざらざらとした砂が膝に足に食い込むのも気にしなかった。
「わた、わたし、だって、ちゃんと離れたくなんか、なかったのに」
誰も居なくなった砂浜で、七海は生まれて初めて泣いた。
七海の流す、いなくなってしまったを想う涙は、七海が見てきたどんなものよりも綺麗で、わたしたちの恋は創作にも負けない、なによりも美しいものだったのだと、彼女はようやく知った。