ぼくらは祈りの言葉を持たない

軽微ですがDVを想起させる描写があるので注意。

「それは愛だなんて到底言えないよ」
 私はくるくるとコップに刺されたストローを回す。カラン、とコップの中の氷が鳴った。
「やっぱり?」
 茶化すように言ってみたけれど、私に対面するように座る苗木君の顔はしかめっ面のままだ。私はストローをさらに回す。
「でも、私はこのままでも良いとも思ってるんだよね」
 視線を下げて、回り続ける氷をその目で追う。彼から見たら顔を反らされたって思うかもしれない。それは当たっている。だって私は、世間一般的には苗木君が正しいことを言っていて、私が間違っているということを自分はよくわかっているのだから。だから私は彼の顔を真正面から見ることが出来ない。
「本当はさんだって分かってるんだろ」
「珍しいね。いつもより口調が荒いよ」
 笑ってみれば、苗木君は「話を逸らさないで」とその眉根を更に顰めた。あーあ、折角の可愛い顔が台無し。そう思ったけど言わなかった。きっとまた悲しい顔をさせてしまう。
 私は軽く息をつく。
「そりゃ分かってるよ。分かってるつもり」
「なら、」
「だけど、それでも良いって思ってる。怖いけど、同じくらい愛されてるって感じるの。馬鹿みたいでしょ」
 自然と笑みが零れた。なのに苗木君はその顔をこわばらせて信じられないものを見るような目をしている。
「そんなの、愛なんかじゃないよ……」
「分かってる」
 苗木君の瞳が揺れている。信じられないようなものを見る目をしておきながら、その癖、私の事を非難したくないという欲望がその目の中で渦巻いている。私が間違ってることは分かってるくせに、言葉には出さない。優しい人ね。
「ただの束縛でしかないんだよ」
「自分が一番知ってるよ」
「……いつか、もしかしたら、彼に殺されるかもしれないんだよ」
「うん」
 苗木君がその顔を歪めた。
「だったら、なんで、なんでそんな風に笑えるんだよ!」
「だって私、彼のこと好きなんだもん」
 私は笑う。視界の隅で腕に巻かれた白いものが映っては消えた。痛そうに見えるけど、大げさなだけだよ。だってもう痛くないし。痛かったのは彼に殴られたその時だけ。
 対する苗木君の顔は真っ青だ。いつの間にか私が苗木君を見据えていて、苗木君はその視線を机に落としている。そして彼は視線を落としたまま何も喋らなくなった。この話はもう終わりということでいいのだろうか。
 私は立ち上がる。苗木君と話していたのは楽しかったけど、そろそろ帰らないと怒られちゃうから。私が帰る準備をしている間も苗木君は何も言わなかった。
「ボク、だったら……。ボクだったら、さんを……」
 喫茶店を去る前に苗木君の声がした。その声は心底やりきれなさそうな声だったけれど、彼はその言葉を言い切る前にその口を閉じて言葉を飲み込んだ。
 苗木君は聡い。だから、もしも、なんて話は不毛にすぎないことを彼は気づいたんだと思う。彼は何も言わない。私も何も言わない。この話はこれでお終い。何も進みもしないし、何も変わらない。だからそんなもしもで優しい君が心傷めるなんてことしなくてもいいんだよ。

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