祈り

 コトブキムラの外れ。ヒスイ地方にやってくる人々が必ず最初に訪れる場所、始まりの浜でおれは彼女を見つける。コトブキムラのどこにもいなかったから出かけているのかと思えば、まさかこんなコトブキムラの外れに居ただなんて思いもよらなかった。
、なにしてるの……」
 掛けた声は段々と尻すぼみになっていく。理由は簡単だ、見つけた彼女は波の音を背景に小屋に寄り掛かるようにして眠っていた。無意識に寝ている彼女を起こしては悪いと思ったのか、自然と声量が小さくなっていた。
「ぴぃーか?」
「起こすなよ、ピカチュウ。寝てるんだ」
 出していたピカチュウがにすり寄る。
 おれに注意されたピカチュウは起こさないように細心の注意を払っているのか、足音も呼吸も潜めての横に座る。そして「ぴぃか」と鳴いておれを呼んだ。
「だから起こすなよって」
 ピカチュウは再度鳴いた。彼女を起こさないようにの顔を指さして。まるでおれにまだ気づかないのか? とでも告げているようだった。
 なんだよ、と思いながらおれは彼女の近くに座る。そしておれはようやく気が付いた。彼女の頬には泣き跡が残っていることを。
 目を閉じても少し腫れた瞼。それはが泣いていたことを示していた。
 おれは何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、後退る。ピカチュウが呆れたように鳴いた。
 なんで、泣いてるんだよ。今日だって、昨日だって元気そうに笑って過ごしてたじゃないか。そんなことを考えつつも、頭のどこかでは本当は理解していた。だってはこの世界の人間じゃない。この世界じゃないどこかに家族がいて、友達がいて、帰る場所だってあった。なのに、いきなりこの世界に、ヒスイ地方に放り出された。 本当は、分かってたんじゃないか。
「……コウキくん?」
 の声に肩がこわばる。恐る恐る彼女を見て見るが、少し後にすうすうと安定した寝息が聞こえてきた。どうやら寝言だったみたいだ。おれは緊張していた胸をなでおろす。
 コウキくん。
 誰だろう。家族なのか、友達なのか。ただ分かるのはそれがきっと彼女と親しかった関係にあった誰かということだけだ。
 おれは知らない。彼女の家族も、どうやって育ってきたのかも。こんなにも近くにいるはずなのに、おれは何も知らなかった。コウキくんなら、知っているんだろうか。わからない。でもそれが、なんだか無性に悔しく感じられた。
 ふとここが始まりの浜だったことを思い出す。多くの人がヒスイに来るときに来る場所。彼女も最初はこの浜で見つかったという。だから彼女も考えたんだろうか。ここからヒスイに来たのだから、ここから元の世界に帰られるのではないかと。でも、結果はこの通りだ。
 帰りたいの? おれは心の中で問う。答えは無い。当たり前だ。
 帰りたいんだろうな。答えは無いがおれは確信する。でもさ、おれは、に帰ってほしくないよ。
「まだ帰らないでよ。お願いだから」
 自分よりも一回り小さなその手を握る。こんな小さな手がヒスイを救ったなんて到底信じられないが、実際そうなのだ。そして、今、おれもその小さな手に縋るように願う。
 まだ帰らないで。
 それはきっとの望むことじゃない。それを知っていてもなお、おれは小さな手に願うしかなかった。
 「ぴかぴ」ピカチュウが再度鳴いた。その声が賛同なのか、呆れなのか。おれには分からなかった。