
混同された愛の末路
「私たち、別れようか」
切り出された別れの言葉は嫌に空気に響いた。
予備学科たちが希望ヶ峰学園への不満をぶちまける集会、曰くパレードの声が日に日に大きくなっていく中で彼女のその言葉はパレードの雑音に搔き消されることなくボクの耳へと一言一句たがわず吸い込まれていく。
ボクは彼女が別れを切り出した理由が分からなくて、思考停止した頭ではなんでという陳腐な言葉しか出なかった。ボクのようなゴミクズでは希望の象徴の一人である彼女にはふさわしくなかったのだろうか。そもそもな話、ボクなんかがさんと付き合えたこと自体が奇跡だったのだ。今までが身の程に余る幸運だったに過ぎない。
ボクの疑問の言葉にさんは瞳を伏せる。しばらく何か言いにくそうに口を開こうとしては閉じ、それを何回か繰り返した後意を決したようにボクを見上げた。
「あんまりこういうこと言いたくないんだけど……、狛枝くん、私のこと別に好きじゃなかったよね」
「そんなわけないよ!」
彼女の口から衝撃の発言が聞こえてボクは半ば反射のように声を上げる。
ボクがさんのことを好きじゃなかったなんてそんなわけはない。ボクは彼女の在り方、才能と向き合い才能と共に生きる彼女の姿が好きだった。だから、彼女がボクに告白してくれた時は飛び上がるように嬉しくて……、ボクにとっては身の程に余る光栄だったけどボクたちは付き合いだして……。ボクの中で走馬灯のように蘇る記憶を他所にさんは首を振る。
「それじゃあさ狛枝くん。もし私があの中の一員だったなら、狛枝くんは私のこと好きになってくれた?」
さんはそう言って指をさす。差された指の先は未だに抗議を続けるパレードの集団だった。才能もないくせに才能を持つ人間を僻み、ただ群れては文句を垂れ流すだけの集団。そんな奴らにさんが居たならと思うとゾッとしなくてボクは声を荒げる。
「さんみたいに素晴らしい希望の持ち主があんな集団の中にいるわけがない! だってキミはアイツらとは違う優れた才能の持ち主だ! だからボクはキミのことが好きで尊敬出来て」
「そうだよね。私が、優れた才能の持ち主で狛枝くんの言う希望の体現者だったから私のこと好きでいてくれたんだよね。でもさ、それって別に私じゃなくたって良いんだよ」
そう言う彼女の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。でもそれは慈愛とか優しさに満ち溢れたものではない。そこに宿る感情は諦観。それだけだ。
「私じゃなくても、才能の持ち主で狛枝くんのいう希望なら誰だって。響子ちゃんだって、さやかちゃんだって、千秋ちゃんだって、真昼ちゃんだって、誰だって良かった。だってそうでしょ? 狛枝くんが求めてたのは希望であって、誰かという個人じゃないんだから」
ボクは彼女の言葉に何も返せなかった。図星、だったのかもしれない。
何も言わないボクの姿を見て、諦めたようにさんは息を吐く。
「狛枝くんの言う希望を演じるのはもう疲れたよ」
それが彼女との最後の言葉だった。
彼女との別れ話の後、ボクはボクに割り当てられた寮の部屋に帰る。時折彼女が遊びに来ていたはずの部屋はがらんとしていて、よく見て見れば彼女が遊びに来るたび置いて行かれていた彼女の私物は何一つ残ってはいなかった。
ボクの部屋から無くなっている物。彼女が愛用していたマグカップ。彼女が好いていたぬいぐるみ。記憶を手繰り寄せばすぐに思い出せるのに、何故かその物を持っていたはずのさんの顔だけが思い出せない。笑っていたのか、怒っていたのか、泣いていたのか、ボクの記憶からはすっぽりと抜け落ちているそれは、ボクのことを責めるように彼女のことを見ていなかった現実をボクに突き付けて来る。
なんだったら彼女の私物はいつの間に持って帰っていたのだろう。膨大な数であった筈のそれらを一気に持って帰ることなんてできなかったはずだ。きっと少しずつ持って帰っていたのだろう。ボクは何も気が付けなかったけど。そもそもの話、彼女の私物を気にしても居なかったのかもしれない。
ボクは椅子に腰かける。視界に映るボクの部屋は彼女を失ったボクのようにがらんどうとしている。
ボクはさんの何が好きだったんだろう。
ボクの私物しか残らない部屋の中、その問いに答えてくれるものは何もなかった。