
空っぽな僕を1%だけ埋める巡礼の旅
「あ」
ぽつりと呟かれた言葉は誰に拾われることはなく、ボルテクス界の風に誘われて消えていく。意識して呟かれた訳ではないその音に仲魔たちは気が付くことがなかった。
、元気にしてるかな。
心の内に浮かんできた疑問はあり得ることではないことをシンは知っている。東京受胎を果たしたこの世界では生きている人間などあの時シンジュク病院に居た自分たちしか存在しないのだ。それ以外の人間はみな等しく思念体になってこの世界を彷徨うだけの存在になり果てている。
この世界を隅々まで探せばきっと亡きの思念体だって―、そう考えて人修羅は首を振った。実体を失った彼女に会ってどうなるというのか。あの笑顔、あの体温、何もかもすべてが失われた彼女に会っても虚しくなるだけだ。
迷いを振り払う様に首を再度振ってシンは砂塵渦巻くボルテクス界を歩き始めた。
会いたい。その強い気持ちを拭うことは結局できないまま。
去っていったかつての友達を見送ったシンはふぅと息を吐く。
半分悪魔という今の状態になってからというもの、感情の起伏はかつての自分よりも少しずつ、だが確かに減っている。そんな自分をまだ人間だと信じ込めるように、感情によって生起する行動を一つ一つ大切にしていたかった。
シンはかつての友達が去っていった方向を見る。かつての、と形容詞が付くのは、友人たちは既にコトワリを紡ぎ新しく世界を新生すべく既に皆違う道を歩み始めたからだ。彼らは皆自分のコトワリを紡ぐためなら、人間の頃は忌避されていた行為であっても厭うことはないだろう。それが例えかつての友達と殺し合うことだったとしても。シンだってこの世界で生き残るため、何匹ものの悪魔を殴り殺してきた。今度はその対象が悪魔から、かつての友達に変わっただけだ。そのいずれ来る未来への畏怖をそれほど覚えなくなってしまった自身の人間性の喪失に寒々としたものを覚えながら、シンはがこのボルテクス界で生き残らなくて良かったと考えだしていた。
彼女がもしこの世界に生きていてコトワリを紡ぎ出していたなら。そしてそれが自らの望むコトワリではなかったら。
そこまで考えてもう体温を感じない体をぶるりと震わせる。
その先はもう何も考えたくなかった。
未だの思念体は見つからない。
人修羅は自らの拳から垂れる血を気にせず目の前のモノを殴り続ける。自身の目の前で力尽きていくのは友達だったモノ。いつかの自分が一緒に日々を過ごし、共に勉学に励んだナニかだった。
そしてしばらく殴り続け、目の前のモノがぴくりとも動かなくなったのを見て人修羅は体を起こす。
これでコトワリを紡ぐものは誰も居なくなった。
人修羅は自らの手で友達を、友達だったナニかを殺した。そのことを後悔する自分も忌避する自分も、もうどこにも存在しえなかった。
敵対したから殺した。
人修羅の中にはそれだけ。純然たる事実、ただ一つだけ。そこに付随する感情は何もなかった。
友達だったモノを振り返りもせず、人修羅は無言でカグヅチ塔を上っていく。
カグヅチを倒せばすべてが終わる。
このボルテクス界は終わりを迎え、新しい世界を創造するだろう。その先の世界で、自分はどうなるのだろうか。人からは外れ、悪魔にはなりきれず、半端者のままここまで来た。
いっそ悪魔になってしまえば楽なのに。そんな思いをどこかに抱えたまま目の前にいるカグヅチに対して人修羅は戦闘態勢を整えた。
迫りくる猛攻に人修羅は慣れた素振りで躱しながら確実にカグヅチを射程に捉える。明らかに優勢な状況に人修羅はただただ退屈を覚え始めていた。
悪魔に堕ちてしまうのなら、もう創造などしなくてもしなくてもいいのではないか。このままボルテクス界の奥地で誰にも知られることもなく、最後の人間としても生を終え、悪魔として殺し続ける生を送るのも悪くない。
そんな風に考え始めたその時だった。
視界の端でちらちらと輝く何かを見た。輪郭がぼんやりとしたそれは確かに人の形を成している。
思念体。なぜここに、という疑問よりも先に零れた言葉があった。
「」
それは彼女だった。思念体特有のはっきりとしない輪郭はかつての彼女を思い起こさせることはない。しかしそれでも彼女の姿は人修羅の心に温かい何かを湧き出させていた。
「」
人修羅の声に思念体が振り向く。瞳は見えないが人修羅はその時確かに目があった気がした。
「シン」
彼女の声が脳髄へと響く。
ああ、そうだ。そうだった。俺が聞きたいと思った声。ありありとこの声を思い出せるのに、どうして今この瞬間まで忘れてしまっていたのだろう。
じわりじわりと暖かくて重いものが心を満たしていく。
戦闘中だというのにシンは思念体へと手を伸ばしていた。緑の線が入った手のひらがに触れようとしてすり抜ける。思念体に実体は無い。当たり前のことなのに、シンはそれが酷く悲しかった。
カグヅチが後ろで喚く。シンは気にせず再度彼女の手を掴もうとして手は空を切った。そのことにシンは苦しそうに眉を歪め、今にも泣きそうな気持になった。久しぶりの感情だった。
「なあ」
「俺、俺さ、お前に」
久しぶりの感情に言葉が詰まる。たった一言を彼女を告げるだけなのに、それに付随する感情とはこんなにも重いものなのか。
シンはうまく動かない口を動かす。一人の少女に必死になって思いを告げようとする彼は既に悪魔ではなかった。
「俺、に会いたいよ」
瞬間カグヅチがはじけ飛んだ。
目を覚ました世界は東京受胎を迎える前と何も変わらなかった。自らが屠ったはずの友達は生存し、世界を照らすカグヅチの代わりに眩しい太陽がそこにあった。
世界が元に戻ったことを悟った俺は走り出す。行先はただ一つ。
会いたかった女の子。俺を人間に戻してくれた女の子。
きっとには何のことなのかなんてわかんないだろうけど、お前は確かに俺の宝物だったんだ。
会えたらまずなんて言おうか……。まずは「ただいま」かな。何もわからなくてもお前はきっと笑ってお帰りと言ってくれるはずだから。